「マレーはムラユに非ず(4)」(2021年05月24日)

一方、オランダ人がムラユをどのように扱ったかと言うと、オランダ領東インドに住んで
いる原住民の統治支配のために、華人プラナカン、アラブとインドプラナカン、西洋人、
その他の民族に対比させて、ヌサンタラ土着のすべての人種をオランダ植民地政庁はムラ
ユという言葉で区分した。必然的に、ムラユ文化を土着とする地域だけをムラユと呼ぶこ
とができない形にしてしまったということだろう。おかげで、ヌサンタラにおけるムラユ
の概念は、ジャワ・スンダ・マドゥラ・ダヤッ・スラウェシ・ティモールなどの全部をカ
バーすることになったのである。その一方で、文化人類学においては本来のムラユの定義
も並行して使われており、ここにも語義の混乱と言うか、概念の矛盾が作られていた。

その歴史を引きずったインドネシア共和国もその結果から無縁でいられなかった。なにし
ろインドネシア人にしてみれば、ムラユという一種族名をインドネシア国民全部を指して
使う訳にいかないことは明白だったのだから。そんなことをすれば、コンテキストが曖昧
なとき、誤解が生じる可能性が高い。ならば使わないに越したことはあるまい。

現状、インドネシアでマラユ/ムラユは人間と文化に関わる面でのみ使われている。その
現実が多くのインドネシア人、中でもムラユ族、に「ムラユ」とはいったい何のことなの
かという疑問を抱かせる結果を招いている。

ムラユ出身の歴史学者アッマッ・ダッランAhmad Dahlan博士によれば、バタッ・アチェ・
ミナン・バンジャル・ダヤッ・スンダ・ジャワ・マドゥラ・ブギス・アンボン等々の、自
らを一種族と規定して世界に名乗りを上げているひとびとに対置して、リアウ州・リアウ
島嶼州・西カリマンタンや北スマトラの一部・南スマトラ・ジャンビ・マレーシア・シン
ガポール・タイ南部・ブルネイ等々の場所で興った王国の領土の住民社会を出自とする、
自らのアイデンティティをマラユ族と意識しているひとびとがムラユ族であると説いてい
る。しかしその意識は人種面よりも文化面における現象に深入りする傾向が顕著であるた
め、ムラユ語を話し、ムラユの文化慣習を実践するムスリムである点が具体的なアイデン
ティティの位置に置かれている、というのが現在の姿だ。それが人間と土地の関係に対す
る認識を曖昧なものにしている。


インドネシア人がムラユ語をインドネシア語の基盤に置いたことが、インドネシア共和国
国民にムラユを共和国統一アイデンティティの一部分と認識させる結果を招いた。オラン
ダ人がしたことがそれによって肯定され、厳密な意味で文化人類学とは異なる用法が感性
の領域に定着してしまったと言うことになるだろう。

そのために、ジャワ人であれスンダ人であれ、ムラユという言葉が出て来たとき、自己を
そこに同一視させる感情が心の片隅に湧くことになった。要するに、ムラユというのは他
人のことではないのだという感情である。

たとえば、detektif Melayuやpolisi Melayuなどという言葉がある。シネトロンの中に出
て来る、頭の回転も体の動きも少々トロい私立探偵を指してデテクティフムラユという言
葉が使われている。そこに登場するムラユの語が帯びているニュアンスはコメディのボケ
役であって、マラユ族とは関係がない。

ここで使われているムラユと言うのは植民地時代にオランダ人が蔑んだヌサンタラ土着民
への侮蔑や皮肉を示すものであって、オランダ人が植民地時代にプリブミに対して抱いた
感覚をインドネシア人自身がなぞっている。[ 続く ]