「イギリス人ウォレス(30)」(2021年05月24日)

リクパンの気象は山岳部と大違いであり、四カ月間、雨が一滴も降らない。それでウォレ
スは一週間、ビーチに泊まることにした。マルク行政長官であるゴールドマン氏の長男が
塩の製造プロジェクトのためにリクパンに来ており、ウォレスの来意を知って、狩猟パー
ティを行うことを提案した。

ウォレスはゴールドマン氏の子息、リクパンのマヨールとその配下の男たち十数人、そし
て二十匹ほどの猟犬に付き添われ、人里離れた猟場へ出かけた。最初はボートで移動し、
上陸してから徒歩で森の中を進む。目的地に向かっているとき、一行はすでにアノア1頭
とイノシシ5匹をしとめた。ウォレスはアノアの頭部を確保した。

目的地に着くと、数日間滞在するために小さい小屋が作られた。ウォレスはマレオを狩っ
て皮をむくのに専念し、ゴールドマン氏の子息とマヨールはイノシシ・バビルサ・アノア
を狩ることにした。

一行は三日間で大量のイノシシとアノアを2頭獲得したが、アノアは猟犬のために標本に
できるような状態でなかったため、ウォレスは頭部だけをもらった。狩猟パーティはお開
きになり、一行はリクパンに戻ることになったが、ウォレスはもう三日そこにいてマレオ
をもっとたくさん狩ることにした。

最終的に状態の良いマレオが全部で26羽採集され、毎日マレオの肉と卵を飽きるほど食
べることができた。三日後、マヨールが約束通りボートを送って来たので、ウォレスは荷
物をそれに託し、ウォレスと助手ふたりは地元民のガイドに付き添われて陸路をリクパン
に向かった。およそ14マイルの距離を、密林を抜けて帰ったのである。

数日後、ウォレスはリクパンからマナドに馬で戻った。そして、次のアンボン行き郵便船
が来るのを待った。


ウォレスがマナドを去ったのは1859年9月で、10月にアンボンに入り、アンボン湾
の奥にある小さい家を借りてひと月滞在した。かれはそこで北スラウェシ・テルナーテ・
ジャイロロで集めたコレクションの梱包を行った。11月にテルナーテに向かう郵便船が
アンボンに来ることになっていて、コレクションをそれに託してテルナーテに送り、ウォ
レスはアンボンからセラムSeram島の探査にかかることにしていたからだ。ウォレスはセ
ラム島をCeramと綴っている。

かれが求めていた蝶がそこで豊富だという話を聞いていたためにウォレスはパッソPasso
に家を借りたのだが、シーズンが外れていたことが分かってがっかりした。鳥も豊富でな
かったものの、珍種を手に入れることができた。また美しく珍しいコガネムシを手に入れ
ることもできた。

パッソのその家はアンボン湾と東側の海を切り離す地峡になっていて、東側からやってき
たボートはその砂州の上を引きずられて地峡を通過し、アンボン湾に入って行く。ウォレ
スが借りた家の前を右から左から、引きずられたボートが往来しているという図だ。

パッソに滞在中、パンの実を豊富に食べることができたのはたいへんな贅沢だった、とウ
ォレスは書いている。パンの実は種も果肉もおいしいので、種が植えられることがあまり
なく、結果的にパンの樹はどこへ行っても少ない。おまけに結実シーズンも短いために、
外来者にとってはきわめて珍しい食べ物になる。たまたまその村は周囲にパンの樹がたく
さんあって、ウォレスは毎日その実を食すことができた。

スライスして揚げたり、カリやシチューにもしたが、一番おいしいのは丸ごと熾火で焼き、
中身をスプーンですくい出して食べる方法だとウォレスは書いている。ウォレスに言わせ
ると、ヨークシャープディンのようだそうだ。甘味をつけても、塩味でもおいしい。肉と
一緒にグレービーソースで調理すると、けっこうな野菜になる。[ 続く ]