「イ_ア東部地方料理(1)」(2021年09月29日)

バリ島東方に浮かぶロンボッ島は、オルバ期にバリ島に次ぐ観光エリアとして開発が開始
されたものの、バリ島観光に満腹感が訪れるまでは観光客の足が伸びず、20世紀終わり
ごろの促進リバイバルでやっと観光地としての面目が確立されて行った。「残された昔の
バリ島」がその当時の売り文句だったように記憶している。確かに1970年代のバリ島
の印象をわたしはそのころのロンボッの風景の中に重ね合わせることができた。

スンギギSenggigiビーチに立ち並ぶ高級ホテルから、漁民の船をチャーターしてギリ三島
へ往復したのは愉しい思い出だ。夕方から波が高まることを知らずに午後遅い時間までギ
リで遊んでいたため、戻りの航海が波の谷間に翻弄されてたいへんな目に会ってしまった。
波の谷間に入ると、周囲は海水の壁になってしまう。船頭はたいへんな手間暇をかけてそ
の波を乗り越え、無事にわれわれをスンギギ海岸まで送り届けてくれた。

定宿にしていたホテルのすぐ隣にイタリアレストランがあって、ビーチから歩いて入るこ
とができた。量がたっぷりで手ごろな値段だったので、タクシーを使って外出することな
どせず、夕食はいつもそこにしていた。最近の写真を見てみると、二十数年前のあのころ
と少しも変わっていないように見える。


だがロンボッを訪れて、特筆されている地元料理のアヤムタリワンayam Taliwangとプレ
チンカンクンplecing kangkungを食べないでは済まされない。このロンボッの特産料理は、
バリが観光名所として名前を高く掲げていた時代にバリ島の有名料理のひとつになってい
た。ロンボッまで観光客が来ないのだからしかたあるまい。

タリワンは固有名詞であり、地名である。タリワンという名前の郡がロンボッ島の東隣り
に位置するスンバワ島にある。スンバワ島西海岸部にあって、ロンボッと一衣帯水の場所
だ。となれば、ロンボッ島の料理と言われているアヤムタリワンも、本当はスンバワ島の
ものだったのではないのだろうか?


しかしロンボッの文化人たちはアヤムタリワン発祥の地を、ロンボッ島マタラム市内のカ
ランタリワンKarang Taliwang町だと確信を持って言う。スンバワ島では郡という規模の
地名がロンボッ島のマタラム市内の町内の名称にも使われているこの現象の謎を、歴史学
者はこう説いている。

タリワントゥガダラムTaliwang Tengah Dalam王国の名は、マジャパヒッ王国のプラパン
チャが書いたナガラクルタガマの書に登場する。マジャパヒッ王国に属すヌサトゥンガラ
の諸国が次のように列挙されているのだ。Bali (Bedulu), Lua Gaja, Gurun (Nusa Penida), 
Taliwang, Sumbawa, Dompu, Sapi (Sape), Sangyang Api (Gunung Api), Seram (Seran), 
Hutan (Utan), Kedali (Buru), Gurun (Gorong), Lombok Mira (Lombok Barat), Saksak 
(Lombok Timur), Timor.ガジャマダ率いるマジャパヒッのヌサンタラ統一遠征軍団が13
57年までかかってそれらの地を席巻して平定した。

最初、スンバワ島西部にタリワントゥガダラム王国がブギス人によって建国されたのは1
3世紀で、17世紀まで続いてからスンバワスルタン国に変わった。ただし、ブギス系の
王統はしばらくしてからカリマンタンのバンジャル人の王統に交代した。何が起こったの
かを示す資料が見つからないので内容がよく分からないものの、その変化は王の名前に付
けられる称号がブギス系を示すDaengからバンジャル系であるPangeranやGustiに変化した
ことから判る。バンジャル系の王統はスンバワスルタン国の時代まで継続した。[ 続く ]