「ヌサンタラの馬車(23)」(2021年12月29日)

シゴバロンとパクシナガリマンは車体の像がたいへんよく似ているために混乱してしまい
そうだ。現実にグーグル画像検索をしてみると、シゴバロンはほとんど正しいものになっ
ているのに、パクシナガリマンの画像を呼び出すと、その中にシゴバロンの画像がたくさ
ん紛れ込んで来る。つまり、一部のインドネシア人の中に混乱しているひとがいるという
ことだろう。

いや、画像だけでなく、情報にもいささか混乱があるのではないかという気がわたしには
する。それは何かと言うと、チルボンの教育者が書いたインターネット情報にこんなもの
があったのだ。
* シゴバロンの車体は四つの動物が組み合わさっている。ライオン/トラ(身体・脚・
目)、象(鼻)、ガルーダ(羽)、龍(頭)。これはスルタンの専用車として、サカ暦1
571年(西暦1649年)に作られた。4頭の白子水牛が車体を引いた。
* パクシナガリマンはその名が示す通りパクシ(鳥)、ナガ(龍)、リマン(象)の三
つが組み合わさったもので、サカ暦1350年(西暦1428年)に作られ、スナングヌ
ンジャティが王宮を巡遊するときに使われた。


インドネシア語ウィキをはじめとする諸情報には、上述の通りパクシナガリマンの制作年
が像の首の部分に記されたサンスクリット語1530にもとづいて西暦1608年と書か
れている。それを1549年というシゴバロンの制作年に対比させると、シゴバロンが先
に作られ、パクシナガリマンはもっと後の時代に作られたことになる。(チルボンの教育
者の情報はしばらくお忘れください。)

ところが構造に関する説明や画像を見比べると、シゴバロンの方がはるかにモダンな内容
になっているのに気付くだろう。ひょっとしたら、パクシナガリマンの像の首に書かれた
年号に読み間違いがあったのではないだろうか?わたしには、シゴバロンが先に存在して
いるにもかかわらずパクシナガリマンのような構造を新たに作ってそれで良しとし、それ
を王宮のクレタクンチャナにしてしまうひとびとがいたとは思えないのである。

尚、白子水牛がシゴバロンを引いたという説に従うなら、シゴバロンは最初、牛車だった
ことになる。それはそれで、あり得ることだっただろうという気がわたしにはする。古い
時代のジャワで、諸王宮の王が牛の引く車に乗っていた可能性は確かに存在している。ド
ゥマッがマジャパヒッ王宮を滅ぼして覇権を奪ったあと、ドゥマッのスルタンが馬車を使
っていることが人気を集めて、諸国の王侯貴族たちは牛車から馬車に切り替えたという解
説がある。

ドゥマッのスルタンが馬車を好んだのは、ドゥマッに集まって来たアラブ人イスラム布教
者たちの好みにドゥマッの太守ラデンパタが影響されたからかもしれない。馬を使うこと
がもたらす迅速さや機敏さが王の威厳を高めるイメージを作り上げて、それがジャワ島内
に広まり、各王宮が牛車を捨てて馬車に乗り換えた可能性は否定できないようにわたしに
は思われる。


ソロのスラカルタ王宮とマンクヌゴロ宮殿にもクレタクンチャナがある。それらの王宮所
有の馬車は17〜19世紀にヨーロッパで作られたものだ。オランダ製・ドイツ製・フラ
ンス製・イギリス製のものになっている。

マタラム王家の血統を引くヨグヤカルタにせよソロにせよ、四つの王宮と宮殿には先祖伝
来の諸物に名前を付けて擬人化する慣習がある。それに従って、スラカルタ王宮にはKyai 
GrudoやKyai Garuda Kencana、マンクヌゴロ宮殿にはKyai Condroretnoなどと名付けられ
たクレタクンチャナが保管されている。それらは魔力を持つと考えられており、お供え物
を捧げ、花の香りを付けた水でお浄めの儀式を行う。香を焚き、呪文を唱え、かぐわしい
水で浄めることで、その物言わぬキヤイたちは新鮮さを取り戻すのだろう。

キヤイたちを洗った花水は霊験あらたかな効能を持ち、人間の病を癒したり健康を取り戻
させたりする力があると信じている領民も少なくない。[ 続く ]