「ヌサンタラの馬車(22)」(2021年12月28日)

その三種の動物の組合せについてインドネシア語の諸資料によれば、象はインド並びにヒ
ンドゥ文化との友好、龍は中国および中国文化との親善、ガルーダの羽はエジプトおよび
イスラム文化との関係を示すものであり、三つの文化・宗教・国家を重視するチルボンス
ルタン国の姿勢がそこに示されていると解説されている。

更に、象の鼻は人間が持つ三つのパワーであるトリダヤを象徴する三叉の武器トライデン
トを高く掲げていて、チルボンスルタン国が創造力・感性・意欲を高く奉持する意志を持
っていることを示している。


馬車シゴバロンの車体にはlabanの木(学名vitex pinnata)と鍛造鉄が使われている。車
体の動物の像は芸術作品として比類のない素晴らしさを持っており、これを世界でもっと
も美しい馬車と評価するひとも少なくない。

このシゴバロン像は空中を飛んでいる様子を描き出していて、馬車が動くときに龍の舌と
ガルーダの羽が動く仕掛けになっている。その演出のためにこの馬車は安定装置が組み込
まれ、また車輪の衝撃を緩めるための緩衝装置も水牛の皮で作られたものが備えられてい
る。

そのシゴバロン像の背に乗るような形でスルタンの座席が設けられており、このシゴバロ
ン馬車でスルタンが外出すれば、路上の民衆はあたかも馬が引くシゴバロンの背に乗った
スルタンを見上げる形になる。スルタンの座席を覆う屋根は着脱可能になっている上に、
最後部には荷物の収納スペースが自動車のトランクのように設けられている。

現代の自動車設計では当たり前になっているそれらのコンセプトをそれほど古い時代にひ
とりの王子パゲランロサリが考案して実用化したことがこの馬車を調べた学者たちを驚か
せている。

分裂前からチルボンで、この馬車はムハラム月朔日の夜行われる新年祝賀パレードに毎年
使われ、また新スルタンの即位記念パレードにも使われた。オリジナルのシゴバロンが最
後に使われたのは1942年で、それ以後使われることがなくなり、1997年に博物館
入りした。

一方、シゴバロンのレプリカが作られて、共和国独立後にカスプハン王宮がクレタクンチ
ャナを使う時にはレプリカが使われている。


カノマン王宮のパクシナガリマン馬車は象の胴体部が乗客席になっていて、スルタンはそ
こに座った。このスルタンの座席には屋根がない。おそらく衛兵が後輪車軸の上に張られ
た板に乗って傘をさしかけていたのではあるまいか。

この馬車には特殊な技術が使われている。車輪のスポークが内側に捻じ曲げられた形で車
軸につながっているのだ。つまり車輪は車軸が車輪を支えている接点の真下にあるのでな
くて、その外側で地面を踏まえているのである。

こうしておけば、泥土の湿地が多いチルボンで車輪が泥をはねても、車体まで届く泥は確
かに減るだろう。また車軸上で重さの負荷がかかるふたつの支点の位置が相互に接近する
ことは、車軸の強度を高めることにつながるのではあるまいか。

この科学技術の応用が生まれたのは多分、パクシナガリマンとシゴバロンのスルタンの座
席を比較すれば解るように、スルタンの座の高さがまったく違っているのが原因だったの
ではないかと思われる。パクシナガリマンに乗れば、大きな後輪が乗客席のすぐ後ろに来
るのだ。パクシナガリマン馬車もオリジナルは1930年まで使われてからレプリカと交
代し、そのあと博物館入りをした。[ 続く ]