「ジャワ島の料理(56)」(2022年01月27日)

時計は23時を示している。マン・ンディンは出かける用意を始めた。スンダ語Mangは叔
父という親族呼称だが、年長男性への尊称としても使われる。

持ち物はペトロマクスランプ・懐中電灯・鉈・バケツ。今では既に骨とう品の世界に去っ
て行ってペトロマクスがここではいまだに使われている。20世紀初期にドイツで発明さ
れたこの灯油ランプは加圧燃焼させるので、驚くほど明るい。

かれはランプを持ち出して来て灯油を入れ、フィルターを調整し、ポンプで加圧し、輝く
光を発しているランプを手に提げて家を出た。村は完璧に眠りに落ちており、ただ虫の声
とカエルの声、そして風が揺らす木々の音のほかは静寂の世界に変わっていた。深夜の冷
ややかな風の中を、一行は田植えされて間もない水田に向かった。

黒かった夜空にところどころ星空の隙間ができ、薄い雲影の向こうに半月が浮かんでいる。
「月の光を怖れてウナギたちが深く隠れてしまわなければいいんだが・・・」空を見上げ
てマン・ンディンはそう言った。


タウナギはユニークな生き物だ。鋤かれたあと、水を張ってこれから田植えがなされると
いう状態の水田ではいくらでも捕まえることができるのに、それ以外のタイミングだと微
々たる数しか得られない。明るい時間帯には、たいてい泥の下にもぐりこんで隠れており、
夜闇の中で餌を探す。月光の明るさでさえ、かれらの用心深さがかきたれられるのだろう。
だからタウナギ獲りは昔からたいまつを持って闇夜に行われた。スンダ人はタウナギ獲り
のことをngoborと表現した。

タウナギの用心深さは、ウロコもヒレも持たないために涵養された自衛本能だそうだ。ウ
ロコは魚にとってのヨロイであり、ヒレは推進機関であって、身を守るための防御と逃走
をそれらが助けていると言うのだ。それがないなら、ひたすら隠れるに越したことはある
まい。

目的地の水田に来たマン・ンディンは水路の狭い堤を通って田に降り、ふくらはぎの半ば
までを泥に浸かりながら、あちらこちらで鉈を泥に突き刺す。ある地点でかれは泥の表面
を鉈で示し、「ここを通った。」と言った。泥の上に数本の長い印が残されている。それ
をたどって行った先の草の下に深い泥溜りがあり、たくさんのタウナギがそこに集まって
いた。バケツにその収獲が収められた。

マン・ンディンのタウナギ獲りはこの村でも定評がある。この地方では、タウナギ獲りに
糸と釣り針を使ったり、bubuと呼ばれる竹編み籠の罠を使ったりすることもある。ミミズ
や子供のカエルを餌にしてブブに置き、水田に沈めておくと、翌朝ブブがタウナギで一杯
になっている。


翌朝、マン・ンディンの奥さんのチュチュさんがタウナギの処理にかかった。バケツのタ
ウナギを水に浸け、グアヴァの葉を入れて臭みを抜く。まだ生きているタウナギを一匹ず
つ洗浄して切る。普通の魚を切っても血はたいして気にならないが、タウナギを切ると血
の量の多さに驚くかもしれない。

身体が小さめのタウナギのほうが味にコクがあるので、それを好むひとが多い。チュチュ
さんはタウナギのペペスを作るのだ。ブンブにはショウガ・ウコン・赤バワン・ニンニク
・トウガラシ・サラム葉・スレー・バジルなどが使われる。それらを大まかに切り、ガレ
ンドを加えて練り潰してから、タウナギの切り身を包み込む。

奥さんはご主人にサラム葉を数枚取って来て、と頼む。マン・ンディンは台所の扉から外
へ出て、近くに生えているサラムの木から葉を取って来た。広い庭にはさまざまな樹木が
植えられている。おまけに地面にもキュウリ・長豆・イヌホウズキ・キャッサバなどが植
えられ、生きた野菜置場になっている。ひとまわりしてくれば、ララップや野菜料理の素
材がたっぷりと手に入るのだ。

スンダ人は食材を入手するのに自宅と周辺の水田エリアから外へ出る必要がないと言うひ
ともいる。池で魚を獲り、田や水路で小エビやタニシを獲り、飼っている家畜を屠り、ヤ
シの実を取り、庭や道端やあぜ道に生えている植物を摘んで来れば、十分な食事ができる
のだから。マン・ンディン家の庭には、種々のトウガラシ・トマト・イヌホウズキ・サラ
ム・スレー・スラウン・ウコン等々が植えられているし、あぜ道には長豆やロアイが生え
ており、サンバル付きのララップなど、あっという間にできてしまう。[ 続く ]