「ワルン(2)」(2022年04月29日)

ジャワでは、ノンクロンするための場所はwarungと呼ばれる。warung kopi略称warkopと
表現すればそのものズバリになるものの、warung nasiでもコーヒーを出すし、そこのコ
ーヒーで客がノンクロンすればワルコップという名称は使えない。ワルンコピもワルンナ
シもワルンなのだから、ワルンで括ってしまえばよいということだろう。

1970年代前半のジャカルタでわたしがはじめて知ったワルンコピは、大通りや住宅あ
るいは商店などのない野原の一画にグロバッを置き、ベンチをいくつか並べて周囲を幕で
囲った店だった。陽が落ちるとそこに肉体労働者らが集まって来てノンクロンし、精力補
強のために卵やハチミツなどを加えたコーヒー、いわゆるSTMJを飲んでいたそうだ。

その環境は多分、わたしの私見だが、ターゲット客層を配慮したものだったように感じら
れた。肉体労働者集団と交わることのできる素質を持っている非肉体労働者でなければ、
そのような場所には近寄って来ないだろう。日々教養を顔の端にぶら下げて行動している
人間にとって、多分そこは異界に等しい場所だったのではないだろうか。


そのころのわたしは、日本のように街中の喫茶店でコーヒーを飲みたい願望にとらわれて
いて、車でジャカルタのあちこちを走り回ってみたものの、街中に喫茶店のある風景はジ
ャカルタに存在しなかった。コーヒーショップがあるのはホテルばかりで、買物スポット
でさえコーヒーショップなどほとんど見当たらなかった。

その一方で、Cafeというネオンサインを出している店は少なくなかったが、昔のジャカル
タのカフェというのはお食事処のことであり、コーヒーももちろんメニューの中に入って
はいても、生バンドの演奏を聴きながら食事をするのが主機能になっている店だった。そ
れこそ、コーヒーを飲みながらノンクロンする雰囲気は皆無だったと言える。


今でこそ国際ブランドのコーヒーショップやインドネシア産ローカルコーヒーのブランド
を付けたフランチャイズ店などがインドネシアのあらゆる町のノンクロンスポットとして
当たり前のように存在しているものの、ジャカルタを含むジャワ島でコーヒーに関わる社
会的ライフスタイルが今のように変化したのはスターバクスの出店が契機になったとわた
しは確信している。

もちろんアンドレアス氏が言うように、1970年代にインドネシア初心者のわたしが体
験した喫茶店のないジャカルタの話はジャワ島の特殊事情であったのかもしれない。民衆
の背に乗って鞭を振るっているプリアイ層という構図のない外島地域にはきっと、昔から
堂々としたワルンコピが存在していたのだろう。

ところで、このワルンというジャワ語源のインドネシア語のイメージがはなはだつかみに
くいのは、その言葉がもっぱら機能だけを示していて、典型的な具体例を得ようとしても
実例がたいへんな広範囲に散在しているために焦点がしぼれないことが原因になっている
からではないだろうか。
KBBIに語義はtempat menjual makanan, minuman, kelontong, dan sebagainyaと記さ
れているだけ。飲食品や雑貨類等々を売っている場所なら、規模や形態、環境、背景など
がどんなに違っていようがワルンと呼んでよいことになる。現実にインドネシアの在来型
商店というのは、零細資本のファミリービジネスが住宅地区の一角で自宅の軒先に商品を
並べて販売する様式がマジョリティを占めていたから、小規模・自宅・家族経営などとい
ったキーワードがワルンという言葉の語義に大傾向を与えることになったのだろうが、そ
れが定義だと考えると大間違いのもとになる気配が濃厚だ。[ 続く ]