「黄家の人々(12)」(2022年06月13日)

多数ある一家一族が共通の文化のなかで結び合わさって営まれている共同体社会では、共
通の社会慣習が異文化によって変質しないよう、その社会の中に異文化・異人種・異教徒
の混入を認めない考え方が支配的になり、共同体社会の外にいる一家一族と親戚関係にな
ることが容認されないケースがしばしば起こった。

あえてそれを行えば、自分の一家一族の存在基盤だった共同体社会から排斥されるリスク
が生じる。共同体社会を構成しているひとつのユニットの中に、社会の運営規準となって
いる価値観と異なる判断規準が混じり込めば、社会全体を動かしていた価値判断は動揺す
る。一心同体だった社会の、鉄のような団結力が弱まるのは明白だろう。共同体社会自身
が持っている自己保存機能が、異分子を外へ押し出そうとするようなものだ。

それを、異人種・異文化・異教徒の社会に身売りした我が共同体社会の裏切者という見方
で解釈することも起こったにちがいあるまい。その当時、プカロガンの華人社会にあった
空気はそんなものだったようだ。だから華人社会でのし上がったウイ・セにとって、自分
の娘をプリブミの妻にすることなど、できようはずがなかった。プカロガンの華人社会か
ら排斥されたなら、かれの築いた社会的地位は崩壊し、かれの一家は破滅するしかなかっ
たのだから。

そこのポイントについて、誤解があってはならないとわたしは思う。上で述べたことがプ
カロガンの全華人の行動を縛り、プリブミ社会に入って行った者はひとりとしていなかっ
たという想像はまったく的外れのような気がする。華人の全員がそんな一枚岩の信念を抱
いて各個人の行動に反映させていたはずがあるまい。

上のような観念が現実であったとしても、自分の現在の立場にとってプリブミ社会に入る
ことで得られるメリットが華人社会から絶縁されるデメリットより大きければ、どうして
その実行に躊躇しなければならないのか?華人社会で成長した者がおとなになってから、
自分の判断でプリブミのイスラム社会に入って行った例も少なくないのだ。ただただ汚名
というものを怖れて自分の行動を束縛するのは単一文化社会であるからだろう。複数の異
文化コミュニティが併存していれば、ひとつの世界で汚名をこうむっても、隣の別世界で
自分の存在を受け入れてもらえるかぎり、ひたすら恭順ということはまるで意味がないよ
うに思える。人間にとって、自分を実現させるための自由意志を行使できる場があるかぎ
り、自分を縛り付ける世界から脱け出そうとして動くのが当然ではないだろうか。


ベンセッとキムニオの結婚式はほどなく催され、若い新婚夫婦に女の子が生まれた。チョ
ア・リムニオと名付けられた子供は仲の良い両親の下ですくすくと育っていた。ところが
まだ三歳のリムニオは、父親を失ったのである。

ウイ・セ家の表門に白い紙が吊り下げられ、門の前で大きい木が燃やされた。その家に死
者が出たことを知らせる印だ。夫を失ったキムニオの嘆きは、両親の目にもたいへん深い
ものであるように見えた。

小さい娘をかき抱いて夫の名前を呼び、涙にくれる。たった4年の夫婦生活で、まだ幼い
子供とまだ若い妻を残して、どうして死んでしまったの、と泣き伏す。食事をしていると、
傍にいるはずの夫を思い出して泣く。部屋の外にいるとき、夫が部屋の中に入ったように
感じてすぐ部屋に戻って夫を探し、床に身を投げて泣く。自分を呼ぶ夫の声が離れた場所
から聞こえたように思えたから、そちらの方へ探しに行ったが、どこにも見つからないの
で、号泣する。

まるで夫の後を追って死にたいようなキムニオのありさまを心配した両親は、キムニオを
誘ってカードで遊んだり、気晴らしの観光に出かけたりしたものの、たいした効果もない
まま、時が空転して行った。


そんなキムニオの暮らしを横目で眺めながら、ひそかにほくそ笑んでいる男がひとりいた。
ベンセッと結婚する前から美しいキムニオに憧れて恋の炎を燃え立たせていたその男はプ
カロガンのレヘントだったのである。レヘントは今の県令に該当する。オランダ語の名称
が首長の役職名に使われているものの、実態はスラカルタの領土統治制度がそのまま続け
られたために、マタラム王国のプカロガン領主がレヘントと呼ばれたに過ぎない。つまり
プカロガンのレヘントは王家の一族であり、すなわち貴族なのだ。[ 続く ]