「イ_ア人の外食(前)」(2022年09月27日)

ちょっと古くて恐縮だが、2009年4月ごろにビジネスインドネシア紙が国民の外食に
関する調査結果を掲載した。サーベイ者はニールセンインドネシアだ。10年前にインド
ネシア人が示していた外食にまつわる傾向をわれわれはそこに見ることができる。

10年で世代交代というのは無理だろうから、当時の現役の大多数は今でも現役を続けて
いると思われるが、比率が変化した可能性は小さくない。現在のインドネシアを肌で感じ
ている読者には、その推移転変が見えるかもしれない。


ところで、日本語で「外食」と書いた時、読者はその具体的な内容をどう想定するだろう
か?日本語の外食という言葉はいくつかの視点から語義付けを行うことができる。たとえ
ば、家から外へ出かけて行って食事を行う。これだと、母親が作った弁当も外食というこ
とになる。家族の調理によらない食事と定義付けるなら、出前や持ち帰りしたハンバーガ
ーを家で食べても外食になる。

昔の弁当は家庭内で調理されたものを外へ持ち出して食べた。ところが昨今の弁当は外部
者がどこかで調理したものを買った人が自宅に持ち帰って食べることもある。時代が変わ
り社会状況が変化すると、昔の状況に合わせて定義付けられていた言葉すら内容が変化し
てしまうという一例がそれだろう。


現代日本における「外食」が日本の社会状況を反映させて理解されているものになってい
る場合、インドネシアの食事スタイルが日本の社会状況と同一であるとは言えないのだか
ら、日本語における理解内容でインドネシアの外食という言葉を把握されてはミスリーデ
ィングになりかねない。異言語間の翻訳という作業がいかに難しいものであるかを、この
一事が示しているにちがいあるまい。

辞書に書かれている対応語彙を置き換えるだけでは翻訳と言えない。翻訳元言語で書かれ
ている内容を正しく理解し、その内容を翻訳先原語で述べることが翻訳の真髄だと言われ
ている。翻訳という行為がいかに作文能力を要求するものであるかということがもっと理
解されなければならないだろう。原文に書かれた語彙がすべて網羅され、しかもこなれた
日本語文になっていることが正確な翻訳の尺度だというような規準になっていては、外国
語の書類や文献の翻訳文をいくら読んでも正確な把握に至らないようにわたしには思われ
る。


余談はさておき、ニールセンインドネシアが発表したサーベイ結果は「外食」という概念
よりもっとスペシフィックに、「レストラン・食堂での食事」と定義付けられていた。飲
食品作り売り屋台や道端の揚げ物売りは含まれていないのである。集計された回答結果は
こうだ。

インドネシア人がレストランや食堂へ行って食事するのは週のうちのいつなのか?
土曜日  43%
月曜〜木曜 25%
日曜   24%
金曜    8%

土曜日に食事に出かけると混んでいる店が多いというインドネシアの現象がきっとこれな
のだろう。ちなみに他のアジア諸国では、月〜木の勤労日にレストラン食堂で食事する傾
向が見られた。香港・日本・マレーシアがそうなっていた。

では、時間はどうなのだろうか?上の曜日との関連付けはしないで、外での食事は朝昼晩
のどれが多いのかが質問された。これは想像通り夕食だった。
夕食  58%
昼食  41%
朝食   2%
[ 続く ]