「グラメラ(15)」(2022年12月12日) 現実に、カバエナのトゥアッやアラッは1940年ごろまで作られ続けていた。ブトンス ルタン国の領民がイスラム化して完全なイスラム王国の旗印の下に存在するようになった のがいつのことかよく分からないものの、たとえそれが4百年前であったとしても、トゥ アッもアラッも延々と生産が続けられ、スルタン国の民がそれを消費し続けていたのは間 違いあるまい。 それをアッラーの名においてやめさせなければ真のイスラム社会が実現する日はやってこ ないと心に誓った人物が地元から出た。かれはイスラム神学を深めてメッカに留学し、1 2年の後にカバエナに戻って庶民階層に真のムスリムとしての生き方を教えた。その人物 は名をキヤイハジ・ダウッと言い、世間からグルの称号で呼ばれた。 キヤイハジ・ダウッは第二次世界大戦の勃発直前にメッカから戻ると自費で地元の村々を 巡遊し、ひとびとにムスリムとしての正しい生き方を説いた。それに伴ってトゥアッやア ラッの生産量が減少に向かい、今ではほとんど作る者がいなくなった。 しかし若者たちのアルコール摂取はインドネシアの他のイスラム社会と同様に、カバエナ でも消滅することがない。ビールやアングルあるいはルムなどといった工業製品が容易に トゥアッやアラッの穴埋めをしている。 カバエナ島にはふたつの大山がある。標高1千8百メートルのサ~ギアウィタ山と標高1 千4百メートルのワトゥサ~ギア山だ。その山麓を埋める森林の中にアレンの木が豊富に 生えている。いや、元々アレンはどこにでも生えるものだったのだが。ともかく、豊かな 森林がアレンの木の恵みを太古から住民にもたらしていた。 カバエナのグラメラ作りは、高所に登る体力気力があれば誰にでもできるというものでは ないとかれらは言う。カバエナではたいていグラメラ生産者が自分でニラを採集している。 ジャワでのような分業制は発達しなかったようだ。地上から高さ7〜15メートルに位置 するアレンの木の花房に対して採取処理を行うが、そのとき長い竹の棒を使って木の上に 登る技術は他地方と同じだ。 ニラ採取はまず、これから最初の花を咲かせるアレンの木を探すことから始まる。もちろ んたっぷりニラを出すという能力を見極めた上で相手を決める。だが、ポカエと呼ばれる 最初の花とその実であるコランカリンには手を付けない。ニラ採取処理を行うのはその次 にできるウアレマと呼ばれる花房だ。ポカエにはマンゴスチンのような大きさの実が付く が、ウアレマは花が咲くとすぐに小さい実ができ、容易に地面に落下する。 ウアレマの茎には、根元に生えている葉との間に繊維質のスルダンができる。そのスルダ ンを鋭利な刃物で開いてやらなければならないが、そのとき茎に絶対に傷をつけてはなら ない。しかもスルダンが支えていた花房が、スルダンが開かれることによって折れやすく なるため、何かで縛って安定させてやらなければならない。 それから数日後、採集者は木に登って花房の茎全体を棒で叩いたり手でゆすったりする。 花が開く直前まで、何度かそのように花房に刺激を与えて可愛がってやるのだ。花が開く ときは、ハチがたくさん集まって来て周辺を飛び回るようになる。だが花を開かせてはな らない。花が開く直前に茎の先端を少し切り取る。運が良ければ、切り取った先端からニ ラの水滴がポタポタと落ちてくるから、その下に竹筒を置いて水滴を受けるのである。 採集者は毎日朝と夕方、好天であろうが雨が降ろうが、必ず同じ時間に木に登って竹筒を 持ち帰る。時間が遅くなると、溜まったニラが傷んで使えなくなるのだ。その竹筒にはニ ラの変質を遅らせるための安定剤が入れられる。昔は木の樹脂が使われていたが、最近で はナンカの木の切れ端を数日間石灰水に浸けたものに代わっている。[ 続く ]