「北の黄色い小人(6)」(2022年12月29日)

1930年代に入ってから、廉価な日本製雑貨品がインドネシアでの流通量を増やし始め
た。それを販売したのがトコジュパンで、店内の明るい雰囲気、元気のよい日本人店員の
接客態度、プリブミに対しても敬意と親しさを示してくるといった特徴がプリブミの間で
好評を得た。それがはちきれんばかりの好印象を空中に浮揚させた。日本人はインドネシ
ア人の想像の中でプロタゴニストに担ぎ上げられたようだ。
トコジュパンについては、
「トコジュパン(前)」(2019年11月18日)
http://indojoho.ciao.jp/2019/1118_1.htm
「トコジュパン(後)」(2019年11月19日)
http://indojoho.ciao.jp/2019/1119_1.htm
「留学史(28)」(2022年11月10日)
http://indojoho.ciao.jp/2022/1110_1.htm
「留学史(29)」(2022年11月11日)
http://indojoho.ciao.jp/2022/1111_1.htm
をご参照ください。


そこへもってきて、ジョヨボヨの予言の黄人がその日本人なのだということが噂されるよ
うになった。憧れのアジアの光である日本がインドネシア民族の解放者になるのだという
噂が上乗せされたのだから、日本軍がジャワ島に上陸したとき、民衆はこれこそが民族を
解放する正義の王Ratu Adilの到来と考えて日本兵の背中に神威の光輪を見出したのかも
しれない。

インドネシアの民衆がバンテンからバタヴィアに向かって進軍する日本軍を歓呼の声で迎
え、中には土下座して拝跪する者すらいたという話がしばしば語られているのだが、それ
は日本人という民族に対する明晰な意識で行われたものだったのか、それとも現実の日本
兵の姿にオーバーラップさせた、神格化された民族救世主の到来に向けられたものだった
のか?当のインドネシア民衆自身にもその区別はできなかったかもしれない。

ラトゥアディルもジョヨボヨ王の予言が源泉だ。その予言によれば、ラトゥアディルとは
苦難や危難に襲われたジャワにやってきてジャワを困窮から救出する救世主とされており、
satria piningitあるいはHerucokroと呼ばれたりする。特定の姿を持たず、実在する人間
を使って力学的にものごとを成就させると考えられているので、つまりはできごとそのも
のがラトゥアディルの行為だということになる。

ただし現実には、自分がラトゥアディルあるいはヘルチョクロだと名乗って民衆の心と助
力を得ようとした叛乱首謀者はたくさんいた。ラトゥアディルは化身しないという説もな
かったようだから、民衆はそれを受け入れたにちがいない。なにしろ事の本質が白人支配
者への武力蜂起なのだから、それに盾突くことは筋が通らないという考えが先に立ったは
ずだ。長い人類史の中で、自分は神の化身だと思った人間と、自分が神そのものだと思っ
た人間はどちらが多かったのだろうか。

日本軍のジャワ島上陸はラトゥアディルの作ったシナリオだったのであり、ジャワ島はこ
れで白人支配から解放されるのだという感激の現場に立ち会った民衆が救世主の出現を感
じて集団ヒステリーに陥った可能性がないとは言えないようにも思われる。


インドネシア民衆の目に映った解放者は、小柄でチビで、目は小さく細く、たいていが眼
鏡をかけ、口を開くと金やプラチナの歯冠が光り、ヘルメットの後ろにハンカチ状の白布
を垂らし、歩くときは身体が右に左に揺れて歩調に合わせて頭が前後し、着ている軍服の
デザインはたいしてカッコよさを感じさせるものでなく、たいていの人間が想像するプロ
タゴニストの印象とオーバーラップするものではなかった。

かれらが実際に目にしたことのあるヨーロッパ人の文民や軍人、あるいは身体の比較的い
かついオランダ植民地軍プリブミ兵士や軍人たちの体格や風采と見栄えの良い軍服姿、そ
れと見比べて、この北からやってきたあまり風采の上がらない黄色い小人たちがあっさり
と植民地軍を一掃し、反対に植民地軍やオランダ人が小人を恐れて逃げ出していった姿を
目の当たりにして、たくさんのプリブミが信じられない思いを抱いた。だが、それこそが
ラトゥアディルのなせる業ではなかったのか?[ 続く ]