「まだらの鼻とかごの目」(2023年01月06日)

ライター: 文司、ジャカルタ在住、レミ・シラド
ソース: 2001年11月17日付けコンパス紙 "Hidung Belang dan Mata Keranjang" 

hidung belang(斑鼻)とmata keranjang(籠目)がまったくのsetali tiga uang(大同
小異・同工異曲)であることは間違いない。その両者は姦淫に関わっている。愛し合うカ
ップルの相手ただひとりとのセックスでなく、崇高な愛を告げるひと言もなしにカップル
相手をあとからあとから替えて行うセックスがそれだ。そのふたつの言葉はインドネシア
語宇宙の中でどのようにして生まれ、使われてきたのだろうか。たいへん興味深いところ
ではあるまいか。

hidung belangという言葉は、オランダ人の男たちにとってたいへん困難な時代のジャカ
ルタで生まれた。正確にはVOC時代初期の17世紀のことになる。そのころインドネシ
アにやってきたオランダ人のほとんどは妻を伴わなかったから、「黄金時代の東インド」
Indie in den gouden ouden tijdの中でフィクトル・イドが語ったように、モラルと社会
に関わる深刻な問題が起こった。必然の結果として、オランダ人の男がプリブミの女を妾
にする行為が広がったのである。

アデランテが「オランダ東インドの国内行政官吏の間で行われた同棲行為」Concubinaat 
bij de ambtenaren van het Binnenlandsch Bestuur in Nederlandsch-Indieの中に書い
ているように、袋小路の前に置かれたきわめて困難な選択肢である妾を持つ行為はオラン
ダ人の市民や商人だけでなく統治行政者を含めて全国に広がって行った。

白人の女がまったく不足しているこの土地で人間的な衝動に対処するための合理的な方法
が他にないことに加えて、オランダ男が行ったプリブミ女を妾にする行為は、少なくとも
安全性という面でのメリットがあったことも確かだ。


オランダ人の男とそのような性的関係を持った女のひとりがサルチェ・スぺクスだった。
その関係が一大スキャンダルに発展して男に悲劇的な結末が訪れ、その事件からhidung 
belangという言葉が生まれた。

ヘルトグの書いた「ジャカトラへ行った女たち」Vrouwen naar Jacatraでは、サルチェ・
スぺクスはヤン・ピーテルスゾーン・クーンの養女で、総督警護隊将校ピーテル・コルテ
ンフフに愛されたと述べられている。ある日、ふたりが部屋の中で愛し合っているのが見
つかり、クーンはその若い将校にたいへん立腹した。そして総督は、姦淫を行ったとして
警護隊将校に死刑の罰を与えたのである。コルテンフフはバタヴィアの町の真ん中で絞首
刑にされたが、そのときに炭で鼻が黒く塗られた。

それ以来、姦淫者が捕まると必ず炭で鼻を塗ったり、顔をまだらにすることが行われるよ
うになった。こうしてこのユニークな言葉が定着したのだ。少なくとも、鼻に炭を塗る方
が21世紀の今日、巷で行われていることよりも人間を尊重するソフトな扱いである印象
を受ける。今は姦夫姦婦を裸にして村中を練り歩き、そのあとで焼くようなことまでする
のだから。


斑鼻と大同小異であるmata keranjangの由来はどうだろうか?これは、ジャウィ文字で書
かれた表記をラテン文字に転書するときに起こった素朴な間違いにすぎない。かつてムラ
ユ語を筆記する際には、アラブ文字をムラユ語体系に適応させたジャウィ文字が使われた。
ジャウィ文字の書き方では、mata keranjangの表記はmimにalifとtaが繋げられ、次にkaf
とraが繋がり、そしてnun, jim, ngainが続く。kafとraが繋げられたためにラテン文字に
移し替えたときkeranjangという綴りで書かれた。

昔、前置詞keは後ろに続く言葉に繋げて書かれていた。現在使われているEYD改良綴り
方では、前置詞と後ろの言葉は離されなければならない。つまり、現代式綴り方ではmata 
ke ranjangになるということだ。男であれ女であれ、相手の姿を見て欲情を抱いた者の目
は即座にベッドの上に向かうのである。


setali tiga uangというのはオランダ時代の貨幣システムに由来している。オランダ政庁
は四分の一フルデンとしてtali(25セン)というコインを作った。これは四分の一フル
デンのためにketip(10セン)2個とkelip(5セン)1個を併せる手間を省くためにな
されたことだ。つまりタリと言うのは3個のコインを集める代わりに作られた1個のコイ
ンということになるわけで、この成句は文字通り「タリ1個はウワン3個(と同じ)なの
だ」ということを示している。両者は形として違っていても価値の上で何も違いがないこ
とから、見た目が違っていてもふたつのものごとは同一なのだということを述べる例とし
ての成句になった。sama sajaと同義語なのだ。

これを真似てSoekarno-Hatta satu uangなどと言う言い方が起こらないように願いたい。
10万ルピア紙幣はどんどんと価値が低下して、今では西ジャカルタから東ジャカルタへ
タクシーで行くと、それ一枚で料金を払うことができなくなっているのだから。