「ヌサンタラのコーヒー(75)」(2024年02月13日)

インド亜大陸から中国最南部トンキン湾沿岸地方まで、島嶼部ではスマトラ・ジャワ・カ
リマンタン・フィリピン一帯、がムサンルアッの棲息分布範囲であると説明されている。
体長は20から50センチ。食性は雑食のようで、ネズミやトカゲなどの小動物や昆虫・
地虫、貝類、果実類などを食べる。しばしば部落で飼われている地鶏がムサンの餌食にな
るため、インドネシアでは鶏泥棒をする人間も往々にしてムサンと呼ばれることがある。
ムサンは放し飼いの鶏をさらったり、夜中に鶏小屋に侵入したりするのだ。

生活パターンは夜行性であり、昼間は寝ていて夜中に食餌行動をする。元々は大自然の原
野に棲息して小動物や果実を食べていたのだろうが、人間の生活領域が自然の中に広がっ
たあとでもこの野獣はテリトリーを人間のいない場所に移さなかった。おかげで森林が部
落に変わったあと、ムサンルアッは昼間に人間の目の届かない場所で眠り、夜には人間の
生活環境の中に入りこんで食餌行動を取るようになったために人間との接触がよく起こっ
た。鶏泥棒がその典型だろう。

人間居住地の域内に住むようになったムサンの中には、木の洞や土の窪みに住む者もいれ
ば民家の屋根裏に住む者もいる。ムサンが屋根裏を間借りしている家の住民は屋根裏で物
音がしてもたいていネズミだと思うらしく、無断間借り者を退治しようとはしない。しか
しそれがムサンであることがひとたび判明すれば、ムサンの生命は風前の灯火になる。と
いうのも、かつてインドネシアの庶民社会でムサンは害獣とされていたのだ。

人間はたいてい防犯のために犬を飼うから、犬とムサンの格闘が折に触れて発生した。同
じくらいの体格であればほぼ五分五分の格闘になったが、犬の側はすぐに別のイヌがやっ
てきて多勢に無勢の闘争になり、ムサンが命からがら逃げるか、あるいは倒される結末に
至るのが普通だったようだ。


わたしが南ジャカルタのパサルミングに住んでいたときにも、家の裏庭にあるランブタン
の木に実がなるとムサンがやってきた。ムサンが電線を伝って屋根から屋根に移動する姿
をわたしは何度も目にしている。わが家で飼っている犬が地上に降りたムサンと格闘した
ことも数回あった。朝起きると裏庭にムサンの死骸が転がっていたこともあれば、夜半に
犬とムサンの格闘が起こり、双方が力を消耗しつくして互いにうなりながら離れてにらみ
合っている状況にめぐり合わせたこともある。

あるとき、こんなことがあった。夜半を過ぎたころに裏庭で犬と野獣の格闘する音が聞こ
えたので、わたしは裏庭に出て様子を見た。家の壁に添って道具がいくつか置かれている
間にまだ子供のムサンが小さくなっている。怪我をしているようだが、重傷ではなさそう
だ。犬の方はちょっと離れて吠えたりうなったりしているだけで、とどめを刺そうという
気配が感じられない。

わたしはムサンを家の外に放してやろうと考え、マーケットでくれるビニール袋を持って
きて、袋の口を開き気味にしてムサンの前に置いた。

さて、この子供ムサンを袋の中に追い込むのにどうしようかと思案したのだが、心配する
必要はまったくなかった。ムサンが自分からゴソゴソと袋の中に入って行ったのである。
そのときばかりは、われながら奇蹟が起こったような思いがした。
裏庭は高い塀で囲まれているが隅に井戸があって揚水ポンプを保護するためのコンクリー
ト構造物に繋がっており、そのポンプ小屋の屋根は斜めにせり上がって最上部は塀の上に
近づいている。子供ムサンの入った袋を手に提げてそこまで移動する間、ムサンはじっと
おとなしくしていた。わたしはムサンを袋のままポンプ小屋の屋根に置いた。犬の前脚の
届かない高さだ。

そうしてからわたしはまた床に就いたのだが、あのときのムサンの体臭のものすごさには
閉口した。イタチっ屁と呼ばれているものがひょっとしたらこれなのだろうかという想像
が脳裏に浮かんだものの、当たっているかどうかはいまだによく分からない。翌朝、ポン
プ小屋の屋根にはビニール袋だけが残っていて、野獣の姿はなかった。[ 続く ]