「借用語のカオス」(2025年06月23日) ライター: インドネシア語学者、リー・チャルリー ソース: 2008年6月6日付けコンパス紙 "Simpati dan Simpatetik" インドネシア語母語者は、作文を行うに当たって大変重要な問題であるにもかかわらず、 外国語由来の動詞と形容詞の区別が拙劣である、とカルル・ベルテンスはこのコラムに書 いた。正しい動詞はhipnosisであるというのに、形容詞hipnotisがほとんどのケースで動 詞として使われている点をかれは例に取りあげた。 同じように、インドネシア語母語者はsimpatiとsimpatikを名詞と形容詞の区別をしない で使っている。厳密には、われわれはその言葉が何語から摂取されたのかをまず確定させ なければならない。その上ではじめて正しい綴り方と品詞の問題を論じることができるの である。 simpatiはsympathyの綴り字変換と言えるだろうから、原語の品詞に即して名詞だと判断 できる。ところがsimpatikはよくわからない。英語にsympathicという語彙はないのだか ら、インドネシア語のsimpatikが英語由来でない可能性が高い。 sympathyの形容詞形はsympatheticなので、インドネシア語の決まりに従うとその綴り方 はsimpatetikになるだろう。形容詞として使われるべきインドネシア語としてはその方が 妥当だ。simpatisanの場合はどうだろうか?もしもsimpatisという語形が存在していれば、 われわれは動詞化接尾辞-anがそれに添えられたものと推測して受け入れることができる。 ただし、品詞に関しては誤りということになる。 sympathyの語尾-thyがuniversityの-tyに類比させて捉えられた場合、インドネシア語へ の綴り字変換がなされるときに語尾が-tis(simpatis)に変わった可能性もある。インドネ シア語は形容詞を象徴させるような形態素を持っていない。たとえば英語の場合、語尾が -iveや-icになっていれば、それが形容詞であると感じることができるために、それらの 接尾辞を名詞や動詞に付けて形容詞化することが普通に行われている。communicationあ るいはcommunicateはcommunicativeになり、dramaからdramaticが作られるのである。 語尾が-isや-ikになる綴り字変換もわれわれに首ひねりを強いる問題だ。Pedoman Umum Pembentukan Istilahもややこしいことをわれわれに命じている。オランダ由来の接尾辞 である-ischをインドネシア語化する際に、-isまたは-ikに替えろと言うのだ。logisch, economisch, praktischはlogis, ekonomis, praktisになり、electronisch, mechanisch, ballistischがelektronik, mekanik, balistikになったように。 この-isと-ikに関する限りわれわれは、はるかに明瞭な英語方式に全面転向するべきだろ う。形容詞を示す英語の語尾-icをインドネシア語化すれば-ikになるから、electronic, mechanic, ballisticはそのままelektronik, mekanik, balistikを続けることができる。 一方、英語の名詞に使われている-icと-icsのインドネシア語化には-ikaを使うのである。 logic, dialecticsもlogika, dialektikaになる。 インドネシア語母語者が-ikよりも-isを好んで使う理由がよくわからない。dilematisや harmonisのほうがdilematikやharmonikよりも圧倒的に常用されている。しかし英語方式 に従うのであれば、後者のほうが正当ということになる。それほど愛好されているがため に、-isはインドネシア語オリジナルの接尾辞であるように思う母語者が増加していて、 agamisなどという語形のものが出現している。本当は間違っているのに。