「akuとkami(後)」(2025年07月16日)

極端な状態の共生に見られる別の一例は上っ面だけの調和を示すkekamianだ。結婚生活の
中にコンフリクトの影など全然見当たらない夫婦がこのケースになりうる。カップルの一
方が相手を上位に置いて自分は相手に仕える役割を演じ続けたり、あるいは双方が結婚生
活の諸問題を十分に話し合って互いに理解し合っているように見えるケースがそれだ。

共生を行う中で双方が互いにひとつになろうという欲求を持つのはユニバーサルなことだ
から、そんな状態が起こることは十分理解できる。ところが自分を相手に合わせようとす
る傾向は常識的な範囲に収まるのが普通であり、極端なものにはならない。だからもしも
人間関係が極端な傾向を帯びると、その関係は崩壊しやすいものになる。

双方が一体的な人間関係を築こうとして極端に自分を駆ると、別離は精神的肉体的にこの
世の終わりを思わせることになる。たとえば相手が死亡したとき、自分とひとつになって
いた共生関係は幕を閉じざるをえない。そのときに自分は自分自身を含めてすべてを失っ
たと感じ、自分の人生を再起させる意欲を失わせるのである。


AkuとKami。ふたりの結婚生活に十分な意義を持たせるために、結婚したカップルは誰も
がその両方をバランスのとれたポーションで持たなければならない。ならば、ふたりが幸
福な人間関係を結婚生活の中に築くためにはどうすればよいのだろうか?

もしも結婚生活の中で慢性的に、怒りの感情や不愉快な感覚に襲われているなら、akuに
ついての知覚感性を見つめなおす必要がある。自分の本心は何を考え、どう思い、何を望
んでいるのか、そしてこの結婚生活でわれわれは何を必要としているのか、そのために相
互の人間関係のあり方をどう変えるべきなのか?結婚生活における共生の中でakuのポジ
ションが明瞭に感じられれば感じられるほど、夫婦という人間関係の中で相手に対して抱
く親密さの感覚はますます快適さを増すことになる。

結婚生活がもたらす親密さの本質は、夫婦がいつも一緒にいて自分を忘れ相手のことばか
り考えているというものではない。結婚生活における健全な人間関係の中の自存と共生は
空間的な距離の隔たりを親密さの濃淡という意味にしない。それゆえにわれわれには、夫
婦間にコンフリクトが起きることについての認識を変化させる姿勢が大いに求められてい
る。ときどき喧嘩して互いに相手を非難し合うことはkekamianを築く中でkeakuanを維持
し存続させるための相手への抗議と自分への保護になるのだから。

われわれは自分を見直す必要がある。結婚相手との人間関係の中で共生と孤離の両極をし
っかりと踏まえた調和を構築するために、はたしてどれほどkeakuanとkekamianのバラン
スを取ることに努めているだろうか?[ 完 ]