「ジャワ古典文学の燦(2)」(2025年07月18日) その年代記の最大の部分が書き終えられたのは1773年であり、続章は1792年にス ルタンマンクブミが没した後で書き加えられた。この年代記はマンクブミとその皇太子に 花を持たせる内容になっていて、マンクヌゴロMangkunegaraへの強い非難、パクブウォノ 3世への無視とパクブウォノ4世への攻撃で彩られている。 ヨグヨカルト王宮にとって重要な年代記にラデン トゥムングン ジャイェンラッ Raden Tumenggung Jayengratが1777年に作ったババックラトンBabad Keratonがある。この 年代記にはアダムの物語から始まってカルトスロ王宮の崩壊までが記されている。最初は カルトスロ王宮の誕生までがカバーされていたものの、その後崩壊に至るストーリーが追 加された。 カルトスロ王宮が崩壊したことでヨグヨカルト王宮は新世紀の新しい王宮になり、カルト スロ王宮を後継する嫡流の王宮の地位を得たのである。ババックラトンの内容を見ると、 その書は歴史の過去を振り返る視点で書かれている。一方、スラッスルヨジョヨからは未 来を予見する視点が感じられる。 < ヨソディプロ > ジャワ暦の18世紀が19世紀に移行してからしばらくして、スロカルト王宮の宇宙に文 学者ラデン ^ガベイ ヨソディプロRaden Ngabehi Yosadipura1世が登場した。たくさん の文芸作品がかれの著作や改編としてその名前に関連付けられているものの、世評でかれ の作品と言われているものの中の6件はその定説が疑わしいとリクレフスは述べている。 Menak, Iskandar, Tujusalatin, Sewaka, Arjunawiwaha Jarwa, Cebolekがそれだ。 このヨソディプロ1世(1729生−1803没)こそが、カカウィンをトゥンバンモチ ョパッに衣替えさせた人物だったのである。カカウィンロモヨノKakawin Ramayanaがスラ ッロモSerat Ramaに改編され、カカウィンバラタユダKakawin Bharatayuddhaがスラッブ ロトユドSerat Bratayudaに新装され、カカウィンアルジュノウィジョヨArjunawijayaは ヨソディプロ2世がスラッアルジュノソスロバフSerat Arjuna Sasrabahuにリニューアル した。 パクブウォノ3世が行ったスラッウィウォホジャルウォの改編は多分、カルトスロ時代に 現代語訳された散文翻訳を元にしてヨソディプロ1世がスルタンを手伝ったことが推測さ れる。ヨソディプロ1世は他にもスラッデウォルチSerat Dewaruciを著わしている。 スラッロモにはシントSintaを取り返すためにラッウォノRahwonoと戦ったロモの物語が記 されている。そのストーリーの中で、王が民衆を統治するときの姿勢と振舞いに関する重 要な教えをロモがウィビソノWibisanaに語っており、その教えはアストブロトAsthabrata という名前で世間一般の常識になった。王が持つべき8か条の姿勢と振舞いは8人の神々 が持っているものだ。 アストブロトの教えはたくさんのひとびとが検討し、引用し、編みなおしたために、散文 と韻文とに関わらず種々のバージョンが生まれた。ワヤンクリwayang kulitの舞台でもこ の教えはさまざまな文脈の物語の中に顔を出す。マクトロモMakutharamaがその一例だ。 スラッブロトユドはハスティナ王国の争奪を演じたパンドウォPandawaとクロウォKurawa 間の戦争を物語っている。寓意的に、この物語はジャワの諸王国の歴史を思い浮かばせる ものだ。王位継承はしばしば内戦を引き起こした。村の浄化あるいは祖先や死者に祈りを 捧げるニャドランNyadranの儀式の中でワヤンクリによるブロトユドの上演が行われるの は普通のことだった。既に没した者たちのために大地を清め罪を祓う儀式がブロトユド物 語の中の死んでいった英雄たちに関連付けられたのである。 スラッアルジュノソスロバフはラッワナとその兄弟たちの生い立ち並びにアルジュノソス ロバフとの戦いを物語っている。古ジャワ語の解釈に誤りがあったおかげで、ウィスロウ ォWisrawaとスケシSukesiの出会いのシーンに秘密とされている人間発生の真理である~ゲ ルムサストロジェンドロngelmu sastra jendraが語られることになった。 スラッデウォルチは、ドゥロノDronaの命で聖水を探しに行き、結果的にデウォルチに出 会ったビマの物語を述べている。デウォルチがビマに語った言葉の中に人間の本質につい ての教訓があった。ワヤンクリの演題ラコンデウォルチは別の演題ミントロゴMintaraga と対になるものとされている。 ラコンデウォルチには人間たるものを追求して真の自己に至るプロセスが描かれている。 真の自己を見出すということが世の中で自分の使命を果たすための基盤になるのだ。一方 のラコンミントロゴは、幸福を世界に育成する使命を果たす能力を身に着けるために規律 を自己のものにする人間の努力を描いている。[ 続く ]