「ジャワ古典文学の燦(終)」(2025年07月19日)

< ギヤンティ年代記 >
ヨソディプロ1世はババッギヤンティBabad Giyantiという重要な作品をも著わした。こ
の作品には著作日が書かれていないが、遅くとも1803年には書きあがっていただろう
と推測されている。その年代記の中で興味惹かれることがらの中に、ヨソディプロ1世が
スルタンマンクブミに憧憬を抱いてかれを中心人物のひとりに据えたと見られる点がある。

ヨソディプロの家系がスロカルト王宮に所属する文学者であり、スルタンマンクブミがヨ
グヨカルト王宮の王であるという立場を考えれば、これはたいへん特異なできごとだと言
えるだろう。

年代記についてスロカルト王宮側の抱いた関心はババッパクプンBabad Pakepungやババッ
タナジャウィBabad Tanah Jawiなどの作品が示している。ババッパクプンはスロカルトで
1790年に起こったクライシスを物語っている。その作者はラデン  ^ガベイ ヨソディ
プロ2世だったようだ。

ババッタナジャウィは1788−1820年のパクブウォノ4世の時代に編纂が開始され
ている。パクブウォノ4世の王位継承の合法性を示すためにこの年代記の作成が行われた
のではないかと思われる。

パクブウォノ4世はスラッウランレSerat Wulangrehの中に子孫・親族・王宮使用人たち
への教えを盛り込んだ。王宮生活における振舞いの規範を示し、王宮に関わっている者が
セルフコントロールを行うための手引きとしてかれはたくさんのスラッ(教訓話)を書き
のこした。

< スラッチュンティ二 >
ジャワ文学の最高峰とされているスラッチュンティ二Serat Centhiniは、後にパクブウォ
ノ5世(在位1820−1823年)として王位に就く皇太子が編集チームと一緒になっ
て1815年ごろに制作を開始したようだ。この作品は通常「ジャワ百科事典」と呼ばれ
ており、ジャワにあるさまざまな知識の集大成がひとつの旅を物語る中で示されている。

旅する主人公を物語るこの種の文学ジャンルはサントゥリルロノsantri lelanaと呼ばれ
ており、主人公が知を求めてジャワ島の隅々へ放浪の旅を行う様子を描いたこのスラッチ
ュンティ二は、15世紀末にスンダで作られた作品ブジャンガマニッBujangga Manikとい
う先例を持っている。ジャワ語のサントゥリルロノは旅する学習者を意味している。

スラッチュンティ二の中にさまざまなスラッが摂りこまれ、サントゥリルロノたちがあち
こちの旅先で得た知識や教訓としてストーリーの中に組み込まれている。その他にも各地
の伝説・地元の説話・歴史的遺跡・風景描写・独特の儀式・地元芸能などについての記述
がたっぷり記されている。

ジャワの地の様子や文芸作品などがスラッチュンティ二に網羅されているありさまは、あ
たかもそれらが消滅するのを怖れて書物の中に記録したような印象すら感じられなくもな
い。西洋化の流れが強さを増す中で、ジャワ島に生まれつつある新世界がそれらを忘れ去
ってしまうのを怖れる懸念がそれだったのではないだろうか。[ 完 ]