「アンガーコントロール(前)」(2025年07月30日)

ライター: 心理学者、クリスティ・プルワンダリ
ソース: 2016年6月18日付けコンパス紙 "Anger Management" 

最近こんなニュースがあった。ある小学校の生徒が教員の言うことを聞かなかったので、
その教員が「従わなければ髪の毛を切る」という警告を与えた。しかしその警告が三度無
視されたために、教員は言ったことをその生徒に対して行った。すると教員のその仕打ち
に怒った親が教員の家に押しかけて、教員の髪の毛を切った。教員は警察に事件を通報し、
生徒の親が容疑者として警察に逮捕された。

自己統御の困難な人間に関する話はわれわれの日常生活の中でたくさん見聞される、中で
も、憤怒の感情をコントロールできない人間がひき起こすさまざまな事件のニュースも数
多い。怒りの感情は人間に罵詈讒謗を叫ばせ、ドアのガラスを割らせ、人間への暴力を行
わせ、時には他人の生命を失わせる力を持っている。

< 出来事の解釈 >
1975年にアルバート・エリスが書いた古典的理論によれば、人間の感情的な反応と行
動は本人が体験したできごとがもたらすのでなくて、そのできごとを本人がどう解釈した
かによって決まるものとされている。そのために、まったく同一の体験を蒙った別々の人
間が示す反応やリアクションは異なるものになりうる。エリスはそのコンセプトにABC
理論という名称を与えた。
A ある出来事はわれわれに、その出来事の解釈を促す。
B その出来事はわれわれに、その解釈に即した何らかの帰結をもたらす。
C 想定された帰結がわれわれにそれに対する姿勢を執らせ、あるいはリアクションを起
こさせる。

たとえばこんな例だ。学校へ行くのに20分も歩かなければならない生徒がいたとしよう。
これが(A)の出来事というものに該当する。
その生徒が「こんなくたびれることをさせられて面白くない」と思ったのが(B)だ。そ
の結果、通学途上で不機嫌に文句を言い続け、親に対しては「学校へ行かない」と当たり
散らす反応を(C)として行うようになる。
出来事に対する見方あるいは解釈方法がその後に来る反応の中身を決めるのである。

他人を殴ったり暴力を振るったりする者は、その責任を取らなければならない。どんな理
由があっても、その行為を正当化することはできない。結婚生活の中にそんな実例がたく
さん見つかる。
妻のアニが夫のアディに言う。
「先生が子供たちに学費を早く納めるように言ったそうよ。」アディはその言葉を、自分
の収入が小さいことを責めている、あるいは収入が不十分な自分を妻が侮蔑しているよう
に解釈し、かれは妻の横面を張る。夫への侮蔑に対する当然の報いだ。

しかしイノとイナの夫婦は違う。妻のイナが夫のイノに言う。「先生が子供たちに学費を
早く納めるように言ったそうよ。」イノはその言葉を、自分が直面しなければならない現
実を指摘していると解釈し、その支払いをなすためにどうしようかと自分の頭を回転させ
る。イノはイナに言う。
「子供らの学費を払うための金が早く手に入るように、お前も神に祈ってくれよな。」

< 自己の投影 >
理性で統御されない振舞いはエスカレートして致命的な結末を招きかねない。怒りの感情
が自分を包んだ時、われわれは行為に移ろうとする自分を押しとどめるべきだ。まず深呼
吸して自分の理性を呼び覚ます時間を取り戻さねばならない。
「この怒りはどこから来たのだろうか?」
「自分がしようとしていた振舞いは世間からどんな評価を招くだろうか?ポジティブだろ
うか、ネガティブだろうか?」
[ 続く ]