「奪い去られた鉄路(3)」(2025年08月03日)

ヨグヤカルタ市内中心部にある王宮から見て1キロほど西北西にNgabean地区がある。今
はバスターミナルになっているその場所に~ガベアン鉄道駅があった。駅舎は今でも存在
しており、トラベルエージェントがそこを使っている。そこはヨグヤカルタ市内観光ツア
ーの出発点のひとつでもある。

昔の~ガベアンからは南西のクロンプロゴ県Sewugalurに向かう鉄道線路が出ており、また
その反対方向にも線路が敷かれていて、真南のバントゥル県Pundongに下る線路もあった。
ガベアン〜パルバパン間を残して、日本軍はその全線路を撤去して運び去った。上のリス
トでは、1943/1944年の項の上から17と18番目に記されている。


この路線は、インドネシアで初めて鉄道を建設し1867年に商業運行を開始した民間会
社のN.V. Nederlandsch-Indische Spoorweg Maatschappij(NIS)がヨグヤカルタまで線路
を延長したあと、ヨグヤカルタのトゥグ駅とヨグヤカルタスルタン国南部のサトウキビ農
園および製糖工場を結ぶために設けた支線だった。

この支線の要として1895年ごろガベアンに駅舎が設けられ、トゥグ駅とガベアン駅が
線路でつながった。そしてヨグヤカルタの南海岸部に向かう鉄道線路が建設されていった
のである。その一本はヨグヤ市内から南西に位置するプロゴ川河口に近いセウガルル、も
う一本はヨグヤ市内の真南にあるプンドンだ。

ガベアン〜セウガルル線は23キロ地点のスランダカンまでが1895年5月21日に開
通し、さらにブロソッまでの2キロ区間が1915年4月1日にできあがり、最終地点セ
ウガルルまでの3キロ区間が1916年4月1日に完成して全線開通した。

一方のプンドンに向かう路線はまずガベアン〜パサルグデ6キロ区間が1917年12月
15日に稼働を開始し、パサルグデからプンドンまでの21キロ区間は1919年1月1
5日に完成した。

この路線が設けられる前から既に、ヨグヤカルタは砂糖の大生産地になっていた。188
4年のヨグヤカルタ砂糖輸出は3.4万トンに達していたのである。ジャワ島からヨーロ
ッパに船積みされる砂糖輸出の17%をヨグヤカルタが担っていた。そのふたつの路線で
は、製糖工場が近くにある場所まで来ると必ず工場に分岐する線路が敷かれていたそうだ。


スラカルタ王家の第九代ススフナンだったパクブウォノ?世が1939年2月1日に没し
たとき、マタラム王家の墓所があるバントゥル県イモギリに向けて葬送列車が走った。
パクブウォノ?世は1866年11月29日に生まれて、1893年3月30日にスラカ
ルタの王に即位した。46年間の治政の中でかれはインドネシア独立のための裏方をさま
ざまに務めた。

ラウェヤンのバティッ業界の大立者のひとりキヤイハジ サマンフディが中心になって1
905年に起こした商業組合Serikat Dagang Islamをススフナンは陰ながらバックアップ
した。スリカッダガンイスラムの愛国的行動は拙著「ソロのバティッ(全14回)」がご
参照いただけます。
https://indojoho.ciao.jp/2025/0408_1.htm
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[ 続く ]