「奪い去られた鉄路(終)」(2025年08月04日) 王国領民の生活を向上させることを現代化を通して図る考えを持ったパクブウォノ?世は、 低所得階層に向けて住宅所有ローンを発足させている。また市場・鉄道駅・病院・学校な どの諸施設建設を積極的に推進させた。クレウェル市場やソロバラパン鉄道駅もかれの遺 産のひとつだ。 元々はマタラム王家という単一の血筋が1755年以来スラカルタとヨグヤカルタに分裂 したのはVOCのプリブミ勢力弱体化方針がもたらしたものであるという理解のもとに、 かれは分裂状態にある現状を少なくとも宥和的友好的な関係に戻そうと尽力している。 一方、ヨグヤカルタスルタン国のハムンクブウォノIX世は領民が日本軍に労務者として徴 用されるのを防ぐために知恵を絞った。そのためには日本軍の役に立つ土木工事を行って 領内の労働力を領内で使うようにすればよい。そのアイデアに従ってスルタンは日本軍に 対し、米を増産するためにプロゴ川とオパッ川の間に水路を作りたいと申し出たのである。 1944年に完成した31キロメートルの水路は今も存在しており、最初は日本人が命名 したKanal Yoshiroという名で呼ばれていた。共和国に変わってからもその名で呼ばれる ことが多かったが、結局インドネシア語のSelokan Mataramに変更された。 この話は拙著「ジョグジャにヨシロ運河」全2回をご参照ください。 「ジョグジャにヨシロ運河(前)」https://indojoho.ciao.jp/2019/1023_1.htm 「ジョグジャにヨシロ運河(後)」https://indojoho.ciao.jp/2019/1024_1.htm 2015年にコンパス紙取材班が行った調査で、日本軍に奪い去られたヨグヤカルタ南部 の鉄道の現状が明らかになった。ガベアン〜プンドン線はかつて鉄道線路があったことさ えよく分からない状態になっていた。 ヨグヤカルタ南環状道路に近いバントゥル県バグンタパン郡カランロの鉄橋跡がかろうじ てその名残をとどめている。線路跡を追っていく取材班は、小さい川をまたぐ鉄橋の残骸 を見つけたときだけ、鉄道の存在を確信した。鉄橋の中には礎石がしっかり残っているも のも見受けられた。しかし地面はどこへ行っても道路や水田が覆っていた。 それに比べてガベアン〜セウガルル線は、ガベアン〜パルバパン間の線路が残っていたた めに視認するのが楽だった。しかしほとんど全線にわたって線路は地面の中に沈んでいて、 使われなくなった鉄路の末路の姿を示していた。 パルバパンからスランダカンへの線路は撤去されているものの、路線はプロゴ川に架けら れたコンクリート橋を渡る。この橋は地元民がいまだに利用しているとはいえ、橋の中央 の路面には穴が開き、コンクリートが弓なりに反っている。この橋の南側に自動車を通す ための橋を建設する工事が進展していた。 橋を越えたあとも、鉄道線路跡は容易に判った。中でも、小さい水路を越えるために設け られた鉄橋がいくつも残っていて、路線の位置を推測する助けになった。終点のセウガル ル駅は今、ガルル国立第2中学校が建っている場所だったようだ。[ 完 ]