「印尼華人の受難(8)」(2025年09月08日) ある華人の一家が住むアパートメントでは、建物の表が暴徒の群れにとり巻かれ、逃げ場 を失ったその一家の娘二人がアパートの上層階へ逃げたものの、既にビル内に侵入してい た5〜6人の男たちに捕まって輪姦され、抵抗した妹はナイフで滅多突きされて生命を落 とした。姉は諦めたのかなすがままにされていたが、最後に妹の後を追わされた。 住居を守ろうとして残った父母と叔母の三人も扉を押し破って入って来た暴徒の輪姦と殺 戮の被害者になり、一家5人が惨殺されるという結末に至った。「チナを殺せ」が言葉通 り実行された事件だ。女性へのレープは年齢を問わなかったらしい。まだ幼い少女までが レープされた。 5月14日の昼前、勤め先の店が休業になり、パサルスネンに近いタナティンギ地区に住 む華人系プラナカン男性が帰宅の途に就いた。オートバイを走らせてポンチョルまで来た 時、兵隊刈りで屈強な身体の男たち数人にかれは行く手を阻まれた。引き返そうとしたも のの、後ろにも同じような男たちが数人出現した。オートバイを置いて走って逃げようと したが、すぐに捕まった。男たちのひとりがオートバイから抜き取ったガソリンをかれの 身体に浴びせ、別の男がマッチを擦ってかれに投げつけた。かれが意識を取り戻したのは 病院のベッドの上で、上半身を動かすことができなかった。かれはその後、何度も鉄道線 路の上に寝ることをトライしたが、いつも人に見られて成功しなかった。 同じ日、西ジャカルタ市西部のインテルコン住宅地区も暴動のターゲットになった。商業 センターのインテルコンプラザの周辺にある店舗住宅も襲われて、表のシャッターが破ら れなかった店も火がかけられて建物が焼け落ち、中に住んでいた人間が焼き殺された。そ のうちの一軒が華人プラナカンの一家だった。 ハイルルさん、当時43歳、は北ジャカルタ市スンテルの店に住み、妻とふたりの娘がク ブンジュルッの店舗住宅に住んでいた。ハイルルは18歳と16歳のふたりの娘を大学ま で行かせるためにそんな形の暮らしをするようになった。教育資金を貯えなければならな いのだ。 オルバ時代、インドネシア陸軍は軍事行政管区制度を敷き、国民生活を治安面から監視し、 管理統制を行った。そのために最少行政単位である村や町にバビンサと呼ばれる担当官が 配置されて末端の治安監視が行われていた。バビンサとはBintara Pembina Desaを短縮し た言葉だ。ビンタラは軍隊内で下士官を意味している。 治安の面から住民生活を指導し管理するバビンサは言うまでもなく、地元民の協力を必要 とした。そのために住民の中から協力者を募り、自分の任務の手伝いをさせた。これは国 家が行っていることなのだから、国民は嫌と言えない。ハイルルはスンテル地区でその協 力者になっていた。そして5月13日の大暴動の日がやってきたのだ。 ハイルルはスンテル地区を暴動から守るために、くたくたになるまで働いた。そして、思 ってもいなかった悲劇の知らせがかれを打ちのめしたのだ。かれの妻と娘たちが住んでい る住宅店舗が灰になったという知らせがそれだった。 13日、ハイルルは地区にあるスーパーマーケットやガソリンスタンドを守るために住民 を組織する活動に没頭した。かれはインテルコン住宅地区でも同じような状況になってい ることに気付かなかった。暴動はタンジュンプリオッ一帯だけだと無意識に思っていたよ うだ。 14日にインテルコン住宅地区で暴動の嵐が吹き荒れたとき、スンテルの人間が西ジャカ ルタへ移動するのはもはや不可能になっていた。最愛の家族を失ったかれは、自分を責め ることしかできなかった。[ 続く ]