「チルボン鉄道路線網(4)」(2025年10月04日) 1901年12月29日にSCSがマジャレンカ県カディパテンに向けてオープンした48. 7KMの支線は1808年にダンデルスが開通させた大郵便道路の一部であるチルボン〜ス ムダン街道に沿って設けられている。 この路線はチルボン内陸部からマジャレンカ山岳部にかけての地域で生産されている砂糖 やその沿線にある農村地帯で産する商品をチルボンの町と港に運ぶことが第一の使命にな っていた。家畜やチーク材もそんな商品群の中のひとつだ。Soerawinangoen, Kadipaten, Djatiwangi, Gempol, Paroengdjaja, などの製糖工場の名をその路線エリア内に見ること ができる。この路線は1978年にインドネシア国鉄が閉鎖した。 バティッ布生産センターのトゥルスミ村がプサララン駅の近くにあり、またチルボン特産 料理として名をあげたナシジャンブランにその名が見られるジャンブラン駅もこの路線に ある。ジャンブランには他にジャンブランパサルとジャンブランプチナンという別の駅が あったそうだ。 ナシジャンブランがチークの葉で包まれているのはその路線一帯がチーク樹の産地であっ たためであり、チークの葉が大量に、しかも容易に得られたためにそれが商品として鉄道 貨物のひとつになっていたという話も書かれている。チーク葉は食べ物の消化を助けたり、 コレステロールや血糖を抑制する薬効を持っていることから、インドネシアでは伝統医薬 品のひとつに位置付けられている。ナシジャンブランのためでなくとも、現実にチーク葉 はパサルへ行けば今でも商品として販売されている。 植民地時代には一日2便の列車が両方のターミナルから発車していたそうだ。毎日4回、 列車が鉄道線路を使ったと言うことができるだろう。 スムダンとチルボンを結ぶ街道沿いに設けられたカディパテン駅舎はすでにその姿を隠し てしまった。道路沿いにびっしりと並んだ店舗の一部がかつての駅舎だったのだ。その辺 りに48 + 700と書かれた標識の杭が立っており、そこがカディパテン駅舎だったことを証 明している。 カディパテン駅からまっすぐ南に6百メートル下った場所にカディパテン製糖工場があっ て、その間に線路が敷かれて貨物車が走っていた。1876年にオープンしたこの工場は 長命を保ち、21世紀に入ってから操業が停止された。 カディパテンの町がある地方は元々、チマヌッ川とチルトゥン川が合流するカランサンブ ンが中心地になっており、そこには港があってインドラマユとの河川交通が行われていた。 カランサンブンは内陸部にできた港町で、物資の集散地だったのだ。ダンデルスが大郵便 道路をそこに通したほどだから、その域内では上位のポジションに置かれていたことが推 測できる。 カディパテン製糖工場の製品は鉄道がカディパテンにやってくるまで荷車でカランサンブ ンに送られていたが、1901年末に開通してからはすべてがチルボンに送られるように なった。[ 続く ]