「チルボン鉄道路線網(3)」(2025年10月03日) 最初に作られた本線ルートの中にできた奇妙な路線地図が世間の注目を集めた。その路線 はワルドゥウルからまっすぐ東のロサリに向かわないで南のカンチに下り、製糖工場のあ るシンダンラウッやカランスウンに停車し、ロサリ県チルドゥッを通ったあと北上してバ ディラン経由ロサリに達する、くねくねと曲がるおよそ40KMのルートが地図上に描かれ ているのだ。たいてい直線が普通の鉄道線路がくねくねと曲がっている形態がおのずと見 る人の違和感を誘った。 この区間の鉄道敷設工事はムンドゥ〜シンダンラウッ区間10KMから開始され、シンダン ラウッ〜チルドゥッ区間18KM、更にチルドゥッ〜ロサリ間12KMが1897年10月1 0日に完成した。 そのような形になったのは、その鉄道沿線で操業しているサトウキビ農園からサトウキビ を製糖工場に運び、製糖工場で生産された砂糖をスマラン港やチルボン港に運ぶ役割を果 たすというコンセプトが優先されたためだった。このU文字を大きく開いたような形をし ている路線地図のせいで、そのエリアに袋路線jalur kantongという綽名が付けられた。 袋路線エリアではSindanglaut, Karangsuwung, Sigong, Tersana, Luwunggajah Pecinan, Blender, Jatipiring, Waled Pecinanなどの製糖工場が物資輸送の面で多大な便宜を享受 した。 袋路線ができあがって18年が経過した1915年に、SCSは乗客の便宜を向上させるた めにワルドゥウルから直接バディランに向かう全長28KMの直線コース路線を作って袋の 口を閉じた。 この袋路線の命運が断たれたのは1942年のことだった。日本軍が全長40キロの線路 をすべて撤去して運び去ったのである。いま残っているのは袋を外したあとの、袋の口に なっていた直線コースをたどるチルボン〜スマラン路線と、SSがその南側に敷いたチルボ ン〜プルプッ〜プルウォクルト〜クロヤ路線だけになっている。 それでもSSの路線は袋路線とカランスウンおよびチルドゥッで交差したから、その両駅に 近い製糖工場にはまだ鉄道の便宜を享受する機会が残されていたのではあるまいか。反対 に、そんな条件に恵まれなかった製糖工場にとって日本軍の線路撤去は手足を失わせる結 果をもたらしたはずだ。その影響はインドネシアが独立したあとで現実のものになった。 1896年に創業したカランスウン製糖工場は2014年に操業がストップされた。今は 廃駅になっているカランスウン駅と製糖工場の間は1キロの距離しかない。廃駅から6百 メートルほど手前にある、袋路線が通っていたチマニス川鉄橋の鉄骨は頑丈な姿で残って おり、その上を歩行者や二輪車が通行している。 地元民は駅がまだ使われていた時代を懐かしく振り返って物語る。そのころは製糖工場も まだ活動していたのだ。鉄道と砂糖は相変わらず持ちつ持たれつの関係を続けていたにち がいあるまい。 「昔は水田にサトウキビも植えていたんですよ。現金収入になりましたからね。今はもう、 サトウキビを植えても金になりません。」 昔の地元民は誰もが自分の土地に植えたサトウキビを絞って砂糖を作ることを行っていた そうだ。製糖工場がそれを買ってくれたのだろう。袋路線地域の製糖工場がすべて倒産し た現在、地元民の暮らしから砂糖作りは影も形もなくなった。袋路線の消滅は地域の製糖 産業の息の根が止まる出発点だったようだ。[ 続く ]