「タンジュンプリオッ(16)」(2025年10月06日) 共和国独立後、乗客は減少の一途をたどった、と書いている記事もあるものの、そう直下 的に没落していったわけでもなさそうだ。1960年代にはヌサンタラ各地から船便でジ ャカルタに来た乗客が鉄道で市内に向かうのは普通のことだったし、ジャカルタ一円に住 んでいる行楽客もサンプールへ遊びに行く際には鉄道でプリオッ駅にやってきたという話 も目にすることができる。 1976年から1996年までタンジュンプリオッ駅はジャカルタ〜プカロガンとジャカ ルタ〜スマランの急行列車始発駅になっていた。それら急行便の始発駅が1996年にパ サルスネン駅に移されたのは、タンジュンプリオッ駅で乗降する乗客があまりにも少ない ことへの対策だった。 一方、1975〜1985年ごろは港の荷役がきわめて活発に行われていた。当時は肥料 やセメントの輸入が多量にあり、ジャワ島内各地への配送が鉄道で行われていたから、貨 物列車の往来はたいそう賑わっていた。プルタミナがまだ西ジャワへの石油パイプライン を設けていなかったために、西ジャワへ毎日タンク車百両分が送られていたと書いている 記事もある。 1980〜90年代にタンジュンプリオッ港脇のラゴア地区に住んでいたアリフィンさん は、故郷のソロにルバラン帰省するとき、いつもプリオッ駅から汽車に乗った。汽車は1 2時間かけて当時まだ20代前後のアリフィンをソロまで運んだ。駅の構内はびっしりと 人間で埋められ、切符売場の前には長い列ができたとアリフィンは当時を回顧している。 ただまあ、ルバラン帰省便は全国的一過的なものであって、デイリーの運行をそれで計る のは難しいだろう。 ジャボデタベッ近郊電車路線について言うなら、ジャカルタコタ〜タンジュンプリオッ間 の電車路線が1983年に運行をストップした。それでも中長距離路線列車はタンジュン プリオッ駅までやってきた。ソロバラパン・チルボン・プルウォクルト・ヨグヤカルタ・ スラバヤ・スマラン・ボジョヌゴロ・ブルブス・トゥガルなどの諸方面行き列車は200 0年に入るまでタンジュンプリオッ駅からの運行を続けていたとコンパス紙の記事に書か れている。2000年1月初めから乗客列車の運行が減らされ始めてそのうちに全便が運 行を止めた。 2001年になって乗客列車が入って来なくなり、プリオッ駅にやって来るのは貨物列車 ばかりになった。乗客数があまりにも少なくて経費倒れになるのだから、事業として成り 立たないのは当然だ。駅の表に面した駅舎内スペースは貸事務所にされ、旅行代理店・船 の切符販売・荷物発送サービス・両替商などが店開きした。駅舎のすぐ外は長距離・近距 離バスのターミナルになっていた。 2005年にはタンジュンプリオッ港に隣接するパソソ駅とス~ガイラゴア駅のふたつの 貨物駅に発着する貨物列車がプリオッ駅を定常的に通る列車になった。パソソ駅〜バンド ゥンのグデバゲ駅間の貨物列車2便とス~ガイラゴア駅〜スラバヤカリマス駅間貨物列車 1便が当時のレギュラー便だった。 2001年から乗客列車の入って来ない乗客駅として休眠していたタンジュンプリオッ駅 が2009年4月13日に息を吹き返し、プルワカルタ行きローカル列車2便とスラバヤ 行きエコノミー列車クルタジャヤ号1便が同駅を出発するようになった。 ローカル列車の運行ルートはTanjung Priok - Pasar Senen - Jatinegara - Klender - Klender Baru - Cakung - Bekasi - Karawang - Cikampek - Purwakartaとなっている。 [ 続く ]