「インドネシア鉄道史(4)」(2025年10月14日)

スマランタワン駅から東に向かう線路をたどっていくと、運河と川を越えたあと線路は南
に向きを変えてトゥロゴムリヨ地区に現存するアラストゥア駅に達する。

であるなら、クミジェン村に設けられたインドネシア最初の鉄道駅はどうなったのだろう
か?歴史遺産として保存されているのだろうか?残念なことにクミジェンの駅舎は鉄道基
地ともどもその姿が歴史の中に埋もれてしまったようだ。


クミジェンのNIS鉄道基地の中に、スマラン駅・クミジェン駅・スマラングダン駅の三つ
があったとコンパス紙の記事に記されている。しかしそれらの駅は用途と背景がまったく
異なっていた。スマラン駅はスマラン〜ソロ〜ジョクジャ線の乗客用乗降ステーションで
あり、駅舎はジャカルタコタ駅やタンジュンプリオッ駅のような威風堂々たる様式で建て
られ、駅舎の壁にはSAMARANGという文字が記されていた。当時のスマランはサマランが標
準発音だったようだ。

一方、クミジェン駅はNISでなくてSamarang-Joana Stoomtram Maatschappij (略称SJS)が
スマラングダン駅の南側に作った駅だった。このサマラン〜ヨアナ蒸気鉄道会社はスマラ
ン周辺部とドゥマッ・クドゥス・ルンバン・ジュパラなどムリア山周辺一帯で鉄道事業を
行った民間会社で、同社がスマランに設けたターミナルはジュルナタン駅だったが、NIS
に乗り継ぐ乗客の便宜を図ってNISスマラン駅の近くまで線路を延長し、クミジェン駅を
設けた。クミジェン駅のオープンは1883年3月12日だった。

スマラングダン駅は1867年のNISスマラン駅オープニングのときに既に建てられてい
て、乗客駅とこの貨物駅が同時に使われ始めた。コンパス紙によれば、NIS鉄道基地内に
は最初、personenstation乗客駅、goederenstation貨物駅、vaart van het station運河
駅、werkplaatsen修理検車センター、station chef駅長社宅の5つの建物が設けられたと
のことだ。

NISスマラン乗客駅舎は最初U字型で作られ、そこから北の運河に向かう線路が出ていた。
その線路の終点が運河駅ではないだろうか。運河駅では鉄道で運ばれてきたチーク材・砂
糖・コーヒーその他農園諸物産から成る貨物を艀に積み込む作業が行われていた。一方、
貨物駅は乗客駅から運河駅に向かう路線から外れた場所にあり、そのまま輸出できない貨
物がそこに運ばれて必要な処理がなされていたのではないかと考えられている。
修理検車センターは乗客駅の傍らに設けられていた。その工房はE字型で建てられていた
が、今その建物は水をかぶった土中に半ば埋もれている。


1867年のスマランの地図を見ると、鉄道線路は乗客駅・運河駅・貨物駅・修理検車セ
ンターにそれぞれシンプルなスタイルで入っていることがわかる。1898年の地図では、
運河駅から線路は更に運河の端まで延びており、船の接岸場所に達しているように推測で
きる。その地図で西側に描かれている建物はNISのオフィスだった。オフィス機能は19
07年にラワンセウへ移動したのではあるまいか。

1917年の地図を見ると、クミジェンのスマラン駅はターミナル駅でなくなり、線路は
もっと西にできたスマランタワン駅に向かって延びている様子が示されている。1925
年以降の地図には、NISのスマラン駅が描かれているものもあれば消えている地図もあっ
て、廃駅になったことを推測させている。

1866年、1909年、1917年の地図のすべてにおいて、乗客駅は貨物駅から見て
心持ち北に上がった東側に描かれている。その位置関係はNISスマラン駅がスマランタワ
ン駅に取って代わられるまで変化しなかったようだ。[ 続く ]