「スカルノのジャカルタ(8)」(2026年01月28日) オランダ時代に単にMentengという道路名で呼ばれていた今のJl Raya Mentengに新しい建 物が建ち始めたのは20世紀に入ってからだった。アラブ人の私有地になっていたそのエ リアの土地を政庁が買い上げてメンテンニュータウンの一部にした。多分1910年ごろ にそれが行われたのではあるまいか。 18世紀ごろそのエリアはモール人アッサン・ニナ・ダウッが地主だったが、1780年 にオランダ人J Du Chene de Vienneが手に入れてその家系が代々住んでいた。19世紀終 盤ごろになってから、ハドラマウトからアラブ人の移住の波が押し寄せてきて、そのエリ アの土地を買って住むようになったと語っている記事もある。 チュッムティア通りがメンテンラヤ通りにつながる三叉路の突き当りにある37番地は6 千平米という地所面積で、オランダのキリスト教団であるChristen Vrowenbondが女子用 寄宿舎とした設けた床面積2千平米の建物がそこに建っている。その近辺の古い建物はた いていが同じ時期に建てられたもののようだから、地域開発が始まったタイミングに合わ せて建てられたのではないかと思われる。 その37番地から北に80メートルほどしか離れていない場所がMenteng No.31だ。メン テンラヤ通り31番地はいま、Gedung Joang '45という名前の博物館になっている。19 45年の独立宣言から始まったインドネシア共和国の独立を維持するための闘争の歴史を 社会記憶として持ち続けるために設けられた博物館だ。建物の裏をクウィタン地区とメン テン(カリパシル)地区の境界線になっているチリウン川が流れている。 オランダ人L.C. Schomperが1938年、メンテン通りにホテルを建てたと書いている記 事が見られる一方で、ションパーの子息がホテルの営業開始日を1926年10月27日 と書いているという情報もある。ションパーは同じ道路沿いにホテルを2軒設けて、ホテ ルションパー I、ホテルションパー ?と名付けた。ホテルションパー Iが現在の45年 闘争博物館の前身だ。ホテルションパー Iは左ウイングに客室が5室、右ウイングに浴室 付き大型部屋が8室、食堂・厨房・倉庫・料理人用の部屋3室が設けられていた。 1942年にインドネシアを占領した日本軍はその年8月からジャワ軍政監部宣伝部がホ テルションパー Iでインドネシア人青年層に対する教育訓練を開始した。大日本帝国の軍 国主義を植え付ける教育だったから、思想教育と共に軍事教練も行われたのではあるまい か。日本軍が与える教育訓練への参加を希望するインドネシア人青年層が百人超そこに集 まって来た。そのうちの50人がそのホテルで寮生活を送った。 指導教官としてその青年道場で教鞭を振るったのはIr. Soekarno, Drs. Mohammad Hatta, Mr. Mohammad Yamin, Mr. Soenario, Mr. Ahmad Soebardjo, M.Z. Djambek, Mr.Dayoh, Dr. Moewardi, Sanoesi Pane, Ki Hadjar Dewantara, Mr. Amir Sjarifoeddinといったそ うそうたるお歴々と、日本側のProf. Nakatani, H. Shimizu, Prof. Bekkiなどだった。 スカルノは政治学、ハッタは経済学、スナリオは国家学、アミル・シャリフディンは東洋 哲学と心理学、ナカタニは日本語、シミズは一般知識などの講座を受け持った。 その教育訓練を通して青年たちはAngkatan Indonesia Baroeという青年組織を作った。そ の核になったのがSukarni, Chaerul Saleh, A. M. Hanafi, Wikana, Adam Malik, Pandu Kartawiguna, Armunanto, Maruto Nitimihardjo Kusnaeni, Djohar Nurたちだ。アンカタ ンインドネシアバルはスカルニとハエルル・サレに率いられた。 大日本帝国が連合国に対して無条件降伏を表明したとき、メンテン31番地の青年たちが 決起した。このメンテン31番地というのはメンテン通り31番地を意味している。現在 その通りの名称になっているJl Raya Mentengはオランダ時代にただMentengという道路名 称になっていて、道路であることを示すweg, straat, laan, gangなどという言葉が付い ていなかった。 その地区にある大通りがその地区の地名のまま呼ばれていた例は他にもたくさんあり、ノ ルドヴェイクやレイスヴェイク、モーレンフリートオーストやモーレンフリートヴェスト もそのスタイルになっている。[ 続く ]