インドネシアの「妖怪変化と超常譚」


「首しめ幽霊」(2005年12月13日)
中部ジャワ州ドゥマッ県のカラントゥガ、サユン、グントゥル、ボナンなど数郡で奇妙な噂が広がった。夜寝ていると、幽霊がやってきて首をしめ、命を奪うというのだ。それを幽霊だと言う者もおり、あるいはブラックマジックで姿を見えないようにした人間だと言う者もある。この噂はさらにスマランから中部ジャワ州一帯に広まり、カラントゥガ郡ロジョサリ村では四人が殺されたなどという話がまことしやかに流れ始め、自分が襲われたという話が各地でささやかれて、首しめ幽霊譚で中部ジャワ州北岸街道部一帯はもちきり。
おかげであちこちの農村では、夜ひとりで寝るのが怖いという人々が集まって、村の集会所で交代で夜番しながら寝るという奇妙な習慣がはやり、自警団と警察が夜回りを熱心に行うようになった。村の出入り口はしっかりと固められ、見知らぬ外来者がうっかり村に入り込もうものなら生命が危ないという雰囲気が醸成されていった。ドゥマッ警察署長やスマラン市長が住民に対し、噂に呑まれて好まれざるパニック行動を起こさないように、と警告したが、住民たちは日に日に新たな尾ひれを加えて届けられる噂の方を信じた。
11月22日早朝、北スマラン郡バンタルハルジョ町の住民四人が、首しめ幽霊に襲われたとそれぞれ訴えた。ウィナルノ30歳は、自分が眠っているときに首しめ幽霊に襲われ、自分の首を締めている黒い影を見た、と語った。ウィナルノが恐怖の叫び声を上げたので、隣人たちがかれの寝室に飛び込んでかれを起こした。スピア49歳は、半ズボンをはいた大男の姿の首しめ幽霊を見たと語った。そのときかの女はまだ眠ってはおらず、しかし眠くて半覚醒状態だったらしい。スピアも叫び声をあげたために、隣人が助けに飛び込んできた。
噂は噂を呼び、わけ知りは「首しめ幽霊はワリソゴの時代より昔からいたんだ。」と由来を語り、別の知識人は「あれはニャイロロキドゥルの崇拝者なのだ。」と由緒を説明した。ある村では「首しめ幽霊を捕まえたぞ。」と触れ回る村人が出た。「そりゃあたいしたお手柄だ。」と村役村民たちがやってきてその村人に幽霊はどこかと尋ねると、村人は部屋の片隅にひもでつながれている猫を指差した。「今はあの姿をしているが、あれが首しめ幽霊の化生だ。」
ドゥマッ郡ブレロン村のジャッミコ42歳とトゥルス25歳はそれぞれが化生の黒猫を捕まえた。そしてスマラン県バウェンのプサントレンに猫を委ねた。ジャッミコは猫に言って聞かせた。「もしお前が元人間だったら、善き人間に戻れ。元々動物だったのなら、人間に祟りを起こさない動物に戻れ。」この話が付近一帯に伝わると、化生の猫を一目見ようと村人たちがあとからあとからプサントレンにやってきた。中にはプサントレンにタユの儀式を猫のために行えという要求も出され始めた。そんな状況にバウェン警察署はプサントレンを訪れて猫を逮捕し、拘置所の独房にぶち込んだ。署長が言うには、あのままにしておくと、住民間でタウランに発展しかねないから、とのこと。「猫がそんな背教行為を行うはずがないという一派と噂に呑まれている一派との間で抗争に発展するだろう、と言うのである。ともあれ、プサントレンから警察署に移された化生の猫を見ようと、周辺各地からやはり人々が続々と警察署の拘置所を訪れた。ところが、それから四日後、拘置所の独房から黒猫二匹の姿が消えた。「やはり姿を変えたか?」とつぶやく見物人に、「いやいや、三日間観察したがまったく猫のままなので、昨晩放してやったよ。」と警察署長が答えた。


「あなたは超自然を信じますか?」(2009年5月4日)
神秘好きのインドネシア人は果たしてどのくらいスーパーナチュラルを信じているのだろうか。特に最近話題をまいたポナリ現象のように、霊験あらたかなるものが持つ超自然パワーをどのくらい信じているのか、ということについてコンパス紙R&Dが2009年2月18〜20日の間全国10都市の857人に対して行なった調査で、学歴別に持っている傾向が明らかにされた。ちなみに「あなたはお守りをいつも持ち歩いていますか?」という問いに「はい」と答えたのは26人しかいなかったものの、スーパーナチュラルを信じていると答えたひとは大きな数にのぼった。
無学歴 信じる40% 信じない40% わからない・無回答20%
小学校卒 信じる32.5% 信じない65% わからない・無回答2.5%
中学校卒 信じる27.6% 信じない71.3% わからない・無回答1.1%
高校卒 信じる34.7% 信じない63.7% わからない・無回答1.6%
短大卒 信じる35.4% 信じない63.6% わからない・無回答1%
大学卒(学士) 信じる39% 信じない57.8% わからない・無回答3.2%
大学卒(修士) 信じる30.3% 信じない69.7%
どこまでのレベルの教育を受けていようが、三人にひとりは超自然にいる何かが現世にいる自分たちに何らかの働きかけをしているという思想に染まっているようだ。呪い殺しが刑法典の中で犯罪のひとつに据えられている事実がその実態を裏書しているように思える。近代実証主義がかれらの日常生活に根付く日はまだまだ先のようだ。


「スンパポチョン」(2010年8月2〜5日)
東ジャワ州ジュンブル県グムッマス郡ムナンプ村クドゥンレンコン部落の老人ミスタニ75歳が、同じ部落の住民サリミン45歳をブラックマジック使いだと非難した。この部落では過去20年間に住民11人がよくわからない原因で死亡しており、住民の間ではブラックマジックで殺されたという噂がささやかれてきた。
ジャワの田舎でブラックマジック使い(インドネシア語はtukang santet)だと指差されたら、生命にかかわる問題になる。立証などできるはずもないことがらだから、幼児のふざけ話程度のものと軽んじるのは大きな危険を招くもとだ。なぜなら、住民たちはその実在を信じており、誘導のしかたひとつで容易に集団リンチに発展するからだ。田舎で恐いのはそれなのである。
ミスタニに魔性の殺人鬼だと名指しされたサリミンは怒った。「何を言うかい!オラの家族の方が弟・兄・叔父の三人をブラックマジックで殺されてる。そんなことを言うミスタニこそがブラックマジック使いぞ。」
とはいえ、年寄りのほうが無条件で尊敬され信用される世間の風習であれば、そんな水掛け論的非難讒謗の応酬をいくらしたところでサリミンが優位に立てる見込みはあまりない。世間にオラの潔白を証明するにはどうするべえ・・・・・とサリミンとかれの一族は頭を絞った。そして到達した結論がスンパポチョン(sumpah pocong)だったのである。
ポチョンとは白布の死衣で全身を包まれた死体のことで、その死体を包む白布はカファン布(kain kafan)と呼ばれる。イスラム式埋葬では、死体は必ず全身を清めたあとカファンで全身をくるみ、鼻や耳などに綿を詰め、墓穴に運んでそのまま埋める。そのポチョンがゾンビになって墓穴から抜け出し夜の村や町を徘徊するのはインドネシア版オカルト映画でおなじみのものだ。ならば、サリミンが行なったスンパポチョンとはいったい何なのだろうか?
人間は真実を語るし、嘘もつく。だからひとの言う言葉が真実であるのか嘘であるのかは、そこだけではわからない。世界が超自然の力に支配され、悪邪狡曲の念を抱く者は超自然の力が成敗すると信じられていたころ、禁忌を犯す者は雷火に打たれて焼け死ぬということが言われ、それを怖れる多くの人間に禁忌を守らせる効果をもたらしていた。
だから昔のひとびとは自分の言うことが真実であるのを証明するために「わが言葉にいつわりあらば雷に打たれよ」と天に向かって大声で叫ぶようなことをした。インドネシアにもその風習はあり、インドネシア語ではsambar geledekという言葉で表現される。
スンパポチョンもそれと類似の原理に拠っている。自分は真実を述べているのだということを証明するためにその人間にポチョンの姿をさせ、アッラーの前でその主張を語らせるのである。ポチョンの姿をさせるのは、その人間が命がけで真実を述べているのだという印象を見る者たちに与えるパフォーマンスだろう。「人の将(まさ)に死なんとする、其の言ふや善し」である。
クドゥンレンコン部落のサリミンはモスクへ行って生きたまままるで死体のようにカファンで全身を包まれ、モスクの説教壇の前で自分はブラックマジック使いでないことを明言した。もちろんサリミンは死体でないから全身を清めてからカファンで包むようなことはせず、盛装した上からカファンに包まれた。
このスンパポチョンの行は標高3,088メートルのアルゴプロ山を北にいただく広大な平地の真っ只中にある寒村に大きなトピックをもたらした。村民はもとより県外からも続々とその見物に訪れるひとでひきもきらないありさま。言うまでもなくサリミンの行なったスンパポチョンは可能な限り大勢のひとに目撃してもらうことが目的だったから、かれにしてみれば目論み大成功というところだろう。なんとミスタニの一族も大勢がサリミンのスンパポチョンを見にやってきたそうだ。どうやらこれでサリミンは自分の立場をきわめて優位に持ち込んだようだ。
このスンパポチョンはムスリムがモスクで行なうのが普通だが、イスラム法の中にポチョンの姿をして神に誓うような作法はない。だからこれは正式なイスラム法の遂行とは異なる、イスラム渡来以前からインドネシアにあった習俗がイスラムの中に取り込まれた形のひとつだとされている。つまりポチョンの形はもちろんイスラム法に従った葬儀の作法であり、アッラーの前で誓いを述べることもイスラム法に従ったものではあるが、イスラム法はポチョン姿で神に誓うようなことを教えていないということなのである。
遺産相続・土地所有・金銭や物品の貸借等の民事にかかわる係争で、証拠がほとんどあるいはまったくないというケースのものがある。そうなるとあとは本人の弁舌と意志で周囲の人間を信用させて相手を追い込んで行く、という行動に向かう。つまり共同体住民の多数が信用すればそれが事実として扱われる、という不可思議な原理がそこに働くのである。サリミンのケースもそうだ。サリミンがブラックマジック使いであることを部落民に信じさせれば、それが事実と化してサリミンに対する処刑に発展する可能性は高い。サリミンがスンパポチョンを行なって部落民に潔白を証明し、部落民がそれを信じたら、サリミンの身の安全は保障される。インドネシアにはそのような原理がいまだに消滅することなく存在し続けているのである。
しかし係争が訴訟として法廷に持ち込まれることもある。その場合でも証拠がほとんどあるいはまったくないというケースのものがないわけではない。普通、証拠がまったくなければ訴訟は却下されるわけで、自分が正しいことを主張しあう原告と被告のどちらを信じるかというようなことを判事が行なうわけにはいかない。ところがインドネシアの民法および民事訴訟法の中にこのスンパポチョンが取り入れられているのである。
インドネシアの民事法廷で証拠として採り上げられるのは、まず書かれたものや物的証拠、そして証言。次いで過去の出来事を時系列に並べ、その帰結として推測されることがらを証拠として採り上げるということも行なわれるが、この第三種の証拠は判事にあまり歓迎されないものらしい。それでもまだ判決を下すのに不十分である場合、第四の証拠として採り上げられるのが本人の自認である。しかしその自認というのは、単に自分が正しいとして弁じたてることを意味しているのではない。そこにスンパポチョンが登場するのだ。
もちろん厳粛な法廷ではポチョンなどという場違いな言葉は用いられず、スンパミンバル(sumpah mimbar)という言葉に置き換えられている。優先度の高い三種の証拠で判決が下せない法廷は、この第四種の証拠をもとに判決を下すことができる。アッラーへの誓いはインドネシア社会にとってそれほど重要な位置に置かれていると言うことができよう。
民事訴訟法はスンパミンバルを第四の証拠に採り上げてよいと認めているが、スンパミンバルの作法には一切言及しておらず、ポチョン姿を取ろうが取るまいが問題にはならない。もちろん民事訴訟法はムスリムだけに適用されるわけでなく、あらゆる宗教者も同じように扱われるから、スンパは自分の信じる宗教の礼拝所で行なうとされており、非ムスリムがポチョン姿をするはずもない。ただムスリムにとっては社会通念としてスンパポチョンが確立されていることから、ムスリムスンパ者の作法がそれに引きずられているのが実情であるようだ。
民事訴訟でスンパは薄弱な証拠を補完するためのスンパスプレトワルと証拠の完全不在に対する決定打としてのスンパデシソワルの二つに区分されている。判事団・法廷吏・弁護人・ウラマたちがモスクでスンパ者が行なうスンパミンバルを実見聞し、その際に述べた言葉の内容と本人の態度を合わせてスンパを評価する。
スンパミンバルを行なう日時にスンパ者はモスクでまず身を清め、そしてアルクルアンが唱えられる中で死者に与えられる作法をそのまま受ける。キヤイのひとりがアッラーに成り代わってスンパ者に対面し、大勢の列席者の前でスンパ者は神掛けて真実を述べる。
その儀式が終わると、法廷事務官を中心に列席者は顛末書を作成して法廷に送り、その顛末書を踏まえて判決が下される。度胸のある人間が勝訴するという他国にあまり例のない原理がそこにある。


「身に着けた不死身の術を試したら、死んだ!」(2012年3月23・24日)
ジャワ人の神秘主義はつとに有名で、ジャワ特産の短剣クリスの霊験あらたかさに関しての、クリスを持って外出したところ、クリスが持ち主の手を離れて空を飛んで家に帰り、持ち主が家に着いたらクリス掛けに鎮座していた、という話などは枚挙にいとまがない。
その神秘主義の一項目として、不死身の体になるというものがある。その術を修めるための作法がもちろんあり、ドゥクンの指導のもとにその作法を極め、いざ戦争に赴いて身に一創も負わずに敵を皆殺しにしたという英雄譚もあれば、敵になぶり殺しにされたという話もある。ともあれ、不死身の体を持つことに憧れる人間は数多い。なにしろ鉄砲の弾丸をはね返し、槍で突かれようが剣で切られようが、体のどこにも創ができないというのだから、それが本当であればもう怖いものなしだ。
ジャワ島西端のバンテン州にドゥブス(debus)という術が伝わっている。16世紀前半、西ジャワのヒンドゥ王国であるパジャジャランの征服を試みた東部中部ジャワ北岸のイスラム都市国家連合がパジャジャランの筆頭海港バンテンを占領してそこにバンテン王国を築いてから、ドゥブスの術がその地に花開いた。この術を修めれば、鋭利な刃物や火あるいは劇物などに体を損なわれることがなく、まだ割っていない椰子の実の中に殻を破らないで外にある品物を封じ込めたり、頭で鶏卵の卵焼きを作ったり、といった不可思議な芸当ができるようになる。
ドゥブスというのは元々アラブ語でアラブ風の剣を意味した。幅広の湾曲した剣で先が尖っているあの剣のことだ。ドゥブスの術者に対してその剣が振るわれ、何度も体を打ち据えるが、体のどこにも創がつかない。次いで腹を槍で突くが槍はまったく突き刺さらない。鉈を持ってきて体を切り刻もうとしても創ができない。熾火を食べ、舌や頬あるいは体の皮膚に針を通し、それでも体は無傷のまま。体を切り刻んで創ができ、血が流れると、術者はすぐにその創を癒してしまう。体に劇物をふりかけて着ている衣装がぼろぼろになっても、皮膚がただれることもない。さらにはガラスや陶器の破片を食べ、そしてわが身を焼く。術者はそんな芸当を衆人環視の中で行ってみせる。それがドゥブスだ。
北ジャカルタ市チリンチンに住むデディ、アンドリ、ヘンドラ、ラフマンの四人がバンテン州セラン市スカワナのザエナルの家を訪れたのは2月19日(日)夕刻のこと。ザエナルを知っているデディが不死身の体になれると三人を誘ってやってきたのだ。その夜、四人はザエナルの指導を受けながらその家の裏庭でドゥブスの術を身に着けるための作法を踏み行った。呪文を唱え、花を浸した水でマンディする。すると四人は体の奥底から湧いてくる力を感じた。
「自分がまるで別人になったみたいだぜ。」
「お前もそうか。オレもなんだか力がついてきた気がする。」
「じゃあ、やってみるか。お師匠、お願いします。」
ザエナルは用意した劇物を四人の体に振りかけはじめた。そしてそれを体にすり込むように手でこする。ところが劇物が体にかかったとき、かれらは「痛い痛い」と悲鳴をあげた。どう我慢しても痛いのは痛い。
ラフマンは腕がただれ、デディとアンドリは背と胸が焼けた。次はヘンドラの番だったが、かれに劇物を振りかける前にザエナルは事態が異常であることに気付いた。ヘンドラはそれで命拾いした。
ザエナルは急遽デディとアンドリとラフマンを家から7キロ離れたセラン県地方総合病院へ連れて行った。到着したのは夜10時ごろで、救急治療室で三人の治療が行われたが、軽症のラフマンを除いてあとのふたりは午前3時ごろ、息を引き取った。
事件の報告を受けたセラン県警は病院のラフマンやザエナルの家にいる者たちから事情聴取をしたが、肝心のザエナルは姿を隠してしまっており、警察はその行方を追っている。
デディとアンドリは親族で、同じ自動車修理工房で働いている。土曜日の夜ふたりは別々の理由を家族に告げて家を出た。かれらふたりはこれまで不死身の術を修めるようなことに興味を持ったことがなく、残された遺族はふたりがいったいどうして不死身の術を身に着けようとしてかえって死んでしまったのか、まったく見当がつかない、と当惑の中で悲しみにくれている。


「呪いと同棲」(2013年6月11日)
われわれは既に宇宙飛行やデジタルの世紀に入った。ところがインドネシアでは時計の針を逆戻りさせようと努めている者がいる。呪いを犯罪あるいは刑法違反と定めて中世以前の時代に戻そうというのだ。そして呪いの研究視察にヨーロッパへ行こうと言う国会議員が現われた。
わたしが知る限りでは、呪いはアフリカ諸国やカナダで法制度のお荷物になっているだけだ。もし呪いを刑事犯罪にするのであれば、その要素をどのように分析し、何を決定要因とするのか?フレイ教授によれば、呪いに関わる基本事項はふたつあり、呪い犯罪の要素の有無を警察が判断するよう訓練することではないのだそうだ。
<冤罪>
わたしが不思議に思うのは、犯人と被害者の因果関係において、呪術者を訪れて呪いを依頼しあるいは使嗾した者がどうして共犯者の座に置かれないのかということだ。このことは、特定道路で特定時間に通行する自家用車に三人以上乗っていなければならないという規則をわたしに思い出させる。実際に警察が措置を取る対象にしているのは運転者やカーオーナーでなく、数千ルピアの報酬のために自分の身体で人数不足を補うサービスをしている者たちなのだ。特定の人物を呪うよう依頼した者も同じだ。依頼者は犯人とされず、呪術者が犯罪者にされる。
もし呪いというものが本物なら、コルプトルやナルコバ犯罪者にどうしてさっさと呪いをかけないのか?そのほうが近道ではないか?実際に犯行者−被害者関係を検討する場合、呪いの問題は基本的に単なる欺瞞をその本質に見出すことになる。呪いのイシューは、超自然性を信じ、医学的に合理的な根拠を求めず、復讐欲のとりこになっているだけの草の根民衆に受け入れられているものでしかない。
<古代文化>
人類文化開闢以来の古さを持つ男女の同棲行為までもが法律で統制されようとしている。古代社会で男女の同棲は何の問題でもなかった。人間が社会的価値スケール・文化のアスペクト・社会構造などを持つ共同体を形成するようになって、ひとは不倫・売春・姦淫を区別するようになった。法的規範が整備されだしてから、既婚者にせよ未婚者にせよ、正式でない性関係のすべてが不倫という言葉で呼ばれるようになり、正式でない性関係のうち既婚者のものは浮気と呼ばれて未婚者のものと区別された。
<祭祀の一部>
数世紀前から売春は宗教祭祀の一部としてとらえられており、今日のような意味合いとは違っていた。現在、売春は汚職撲滅コミッションのセックス饗応を含めてさまざまな意味が与えられている。一方姦淫は、未婚の互いに好き合っている男女が行なう、規範に外れた性関係だ。どの宗教であれ、教義に即していないすべての性関係は禁止という理解が標準だ。ところが教育があり公式宗教を奉じるひとびとがそんな明白な禁止対象にされている性関係を持とうとするのはどうしてなのだろう?
ともあれ、宗教規範の確立をはかるために刑法を使おうとする者が出現するとき、問題は違ってくる。インドネシアは宗教国家ではないのである。ましてや、なんらかの目的を持って同棲を承認している慣習法があったり、あるいは結婚儀式を行なう経済能力がないような場合まで法律で統制しようというのだ。そんな者たちを同棲の罪で刑事犯罪者にするというのは、なんという差別だろう。慣習的社会文化に従っている文字を知らない種族の社会はどうだろう?同棲罪をかれらに適用してはならない。
いかなる理由であれ地方高官が結婚し、その数日後に妻を離縁したようなケースも、同棲に区分されるのだろうか?ゴシップによれば、ジャカルタでも大勢の高官たちが同棲しているそうだ。本当は、そのようなものは売春の一種の隠れ蓑なのである。オランダ人はそれを「Hoe groter geest, hoe groter beest.」と評している。つまり社会的地位や教育レベルが高まれば高まるほど、ケダモノ心も大きくなるという意味だ。
オランダの刑事犯罪法教授ファン・ハームルは第二次大戦の前にこう書いた。「劣悪な刑事犯罪法を通して、民衆の倫理生活は毒され、自由は息の根を止められ、治安は破壊される。そして無実の者が犠牲者になるのだ。」
モラルに満ちた倫理に目を開き、熟考せよ!
ライター: アイルランガ大学名誉教授 JEサヘタピ
ソース: 2013年5月23日付けコンパス紙 "Santet dan Kumpul Kebo"


「ドゥクン、呪い、公共アナーキー」(2013年6月26日)
人間というものは奇跡なしに生きることができないため、自家製の奇跡を自分自身に与えようとする。かれらは異端者にも、無神論者にも、反逆者にもなれるが、魔法や呪術をも信じる。 ヒョードル・ドストエフスキー(1821−1881)
ドゥクン、魔法使い、予言者あるいはどんな名称であれ、その話はこうして始まる。人間の神秘に対する嫌悪と憧れは、もちろん太古から続いてきた。それは石器時代以降に発展してきたと信じられており、神秘の術法をマスターした者はコミュニティ内で特別な地位を与えられた。かれらは尊敬され、あらゆる方針の源泉となり、病気や問題を解決した。
魔法というのは一般に、超自然の力を用いて個人・社会あるいは特定事件に影響を与えることと定義付けられている。しかし文明が宗教を伴って浸透するようになると、魔法に関わっていた者たちは暗黒時代に投げ込まれた。その陰鬱な時代、人類の基本的人権にとってもそうだと言えるが、はヨーロッパで6〜8世紀に起こった。超自然性に満ちた邪教は邪悪のパワーと見なされ、呪術師と指差された者には死が待ち受けていた。呪術師狩りとその殺戮は13、15、17世紀まで、アメリカの植民地を含めて継続した。
<知識の道標>
しかし世界の他の地域では、呪術はいまだにその場を与えられている。アフリカの諸種族は呪術師を不運から死に至るあらゆる事象への答えの源泉としている。数百年も続いているその文化は、のちに英国オックスフォード大学社会人類学教授となったサー・エドワード・エヴァン・エヴァンズ=プリチャードが1920年代に南スーダンのアザンデ族に関する研究を行なったときに水面上に浮上した。
かれの『アザンデ族における妖術,神託および呪術』と題する研究はアザンデ族のローカルな知恵と同時に魔術に関する理解の道標となった。エヴァンズ=プリチャードの著作は今日までもヨーロッパの多くの著名大学において人類学の必修書になっている。
アザンデ族はサヴァンナ草原に住んでいる。かれらは畑作・狩猟・漁労・採集で暮らしている。かれらはシロアリが好物で、また家禽を必ず飼っている。かれらの生活に不可欠なふたつのもの、つまりシロアリは美味な食物なのであり、家禽は不倫から死までのあらゆる難問のためのメディアなのだ。呪術師の答えは、密林に生えている植物から抽出した赤い粉の毒を無理やり飲まされた家禽の反応次第だ。家禽に与えられる毒の量は普通、痙攣を起こして死ぬのに十分な量なのである。ところが、死に至らず健康を回復する家禽が稀でないのだ。
エヴァンズ=プリチャードはその毒を英国に持ち帰ってラボ検査を行なった。その結果、人間にとってさえ猛毒のストリキニーネの類似成分がそこから発見された。
<インドネシアのドゥクン>
インドネシアでもドゥクンに関するさまざまな調査が行なわれてきた。そのひとつはクリフォード・ギアツの古典『ジャワの宗教(1960)』だろう。ギアツはジャワのドゥクンを、癒しドゥクン、治療ドゥクン、呪術ドゥクン、慣習ドゥクンの四つに区分した。
パルスディ・スパルランは著書『ジャワのドゥクン(1991)』の中で、善と悪の力が預託を与えたドゥクンはマクロコスモスとミクロコスモスの間を取り持つ者となりうる、と述べている。人類学者クンチャラニンラが相互関係における超自然パワーへの信頼と定義付けたものがそれだ。この超自然学にはさまざまな自然現象・相伝物・護符などが関わっている。だから、災害・出生・婚姻・将来などさまざまなできごとの解説を得ようとするとき、ひとはマクロコスモスとミクロコスモスの介在者としてドゥクンの助けを求めるのである。
しかし、場所によって依然尊敬の対象になっている慣習ドゥクンや癒しドゥクンと異なり、呪術ドゥクンは滅ぼさなければならない社会や宗教の敵と見られている。
<呪術ドゥクン>
インドネシアの歴史にも暗黒のページがある。現代という時代においてすらそうだ。呪いドゥクンだと指差されて数百人が生命を落とした。1998年にそれが起こったのは、バニュワギ・ボンドウォソ・シトゥボンド・ジュンブル・パスルアン・パムカサン・サンパンなど東ジャワ諸県の村落であり、皮肉なことに、それらの地方はナフダトゥルウラマの勢力地区なのである。刑法典改定において政府が呪い行為を第293条に置いたことに関連して、それは熟考されてしかるべき事実なのである。
アミッ・アルフマミが2013年4月12日付けコンパス紙の論説『呪い:文化と犯罪』の中で明らかにしているように、呪いは三つの行為区分から理解されなければならない。他人を苦難に陥れる呪い、呪いドゥクンと指弾された者に対する憎悪が引き起こすアナーキー、呪いドゥクンと指差された者への私的断罪行為。
インドネシア民族の長い歴史を思えば、慎重さを欠く刑法典の呪いの条項は冤罪とコンフリクトの源泉になりかねない。呪いのイシューを除外しても、アナーキーや私的断罪行為は繰り返し発生しているのである。例をあげれば、アフマディヤへの襲撃事件、もっと遡ればインドネシア共産党員との烙印を捺された数十万同胞の殺戮など、枚挙にいとまがない。われわれはまたそんな悲劇を繰り返そうというのか?血と涙が大地を濡らすことがまだ足りないと言うのか?
ライター: コンパス紙記者、アグネス・アリスティアリニ
ソース: 2013年5月8日付けコンパス紙 "Dukun, Santet, dan Anarki Publik"


「妖怪トゥユル」(2014年10月27〜30日)
社会生活の中で金銭が社会構成員の重要な価値観を形成しているところでは、金銭を盗む妖怪が出現するようだ。品物を隠す「物の怪」はどこにもいるらしいが、他の人間を富ませるために金銭だけを目標にして盗みを行なう「物の怪」というのはどうやら、マレーミソロジーにあるトヨル(toyol)別名トゥユル(tuyul)をおいて他にはなさそうに思える。日本でそのように金銭にこだわる妖怪はいないようだし、英語の情報を探ってみても、そういうスピリットを見つけることができなかった。ちなみにtoyol というのはamok やpaddy と同様に、マレー語源の外来語として英語のボキャブラリーに入っている。金銭大事文化のインドネシアよりも大先輩格の中国にはその種の妖怪がいるのだろうか?ミソロジーには疎い筆者であるから、いろいろと見落としをしている可能性は小さくないので、その道の専門家のご意見を拝聴したいものである。
さて、マレーミソロジーの中に棲んでいるトヨルの本場はやはりインドネシアとマレーシアのようで、あとはシンガポールやタイにも出没するという話だが、その話をしているのもどうやら、もっぱらマレー系のひとびとに限られているように見える。呼称も、マレーシアはトヨルが主流で、インドネシアはトゥユルがメインのようだ。このトゥユルの故事来歴をまずジャワ人専門家の書物から抜書きしてみよう。トゥユルとはこういう存在なのである。
トゥユルとは子供の姿をした妖怪だ。この妖怪は他人の金銭を、持ち主がまったく気付かないようにして、少しずつ盗む。盗難の形跡など一切残さず、おまけに持ち主が気付かないくらい少しの金を盗むのである。そしてかなりの期間をかけてターゲットにされた金の束が見えなくなったとき、持ち主はやっとその盗難に気付くという寸法だ。トゥユルが盗んだ金は、花を入れた曝し白布の袋に貯えられる。
トゥユルは子供の姿をしているが子供ではなく小人(こびと)なのだ。同じようなことをする妖怪にブタイジョー(buta ijau)というものがあるが、そちらは巨漢で、トゥユルは小人という違いがある。トゥユルは身長が50〜80センチくらいで、頭は坊主、皮膚は赤みがかった茶褐色をしており、まるで幼児のように見える。男もいれば女もいる。妖怪の多くは人間を襲うのだが、トゥユルは人間に使役されるくらい人間を怖れている。特にトゥユルというものを熟知している人間には頭が上がらないそうで、持っていない尻尾でもすぐに巻いてしまう。
そんなトゥユルを飼育する人間がいる。飼われているトゥユルはご主人様の命令を拝してそれを実践するのである。ご主人様が命令するのは、トゥユルの専門分野である金銭・財宝・有価証券などを盗んでくることだ。トゥユルはご主人様が命じる家々をまわって、毎日金銭や金目のものを集めて持ち帰ってくる。
ジャワ語では財産を指してスギ(sugih)と呼び、金持ちになる方法をプスギハン(pesugihana)と称するが、プスギハンの中に超常的方法で金持ちになることも含まれており、トゥユルを飼うのは明らかにプスギハンのひとつである。上述のブタイジョーと契約する方法もあれば、バビゲペッ(babi ngepet)という術を使うものもあり、さすがに金銭重視文化だけのことはあって、金銭や財を得るための魔術には事欠かないのがインドネシアだと言えよう。
善悪観念が日本文化とは異なっているインドネシア人ではあるものの、超常的手法でプスギハンを行なうのは被害者が不当に損をすることであり、おまけに社会の中で貧富の差が拡大するのだから、魔術を使う人間は世間の敵と見なされるのに即して、トゥユルを飼ったり超常的手段を用いて金儲けをしていることが判明すれば村人たちの報復リンチを受けるという結末が訪れるのは間違いない。だから闇でそういうことをしているひとびとは、社会が肯定する金儲けの源泉を用意しておくために必ず何か事業を行なっている。もっともポピュラーなのは、商売だ。
冠婚葬祭のような祭事を行なって地元共同体のひとびとを招くのは、招かれたひとびとから祝儀を得る副次効果が期待されているためだ。数日間にわたって祭事が行なわれれば、その期間、来訪者の祝儀が主催者の家に貯えられていく。トゥユルが一番好むのがそういうシチュエーションだ。金がどんどん入ってきて総額が変化していくため、主催者主人も途中経過がどうなっているのかという点への明確な認識が難しく、いくらいくら貯まっていると思ったのに少し足りない、という事態を自分の認識の問題と思ってしまう。それがトゥユルの付け目なのである。たとえ抽斗に入れて鍵をかけても、トゥユルには抵抗できない。反対に鍵がかかっているという安心感が、ご主人の心理を自分の思い違いという方向に導いていく。
勘のよいご主人が、トゥユルの仕業を見破り、盗人を痛い目にあわせてやろうなどとすると、たいへんな目にあわされる。トゥユルも自分が攻撃されたら、相手に腹を立てるのである。トゥユルの怒りに燃える逆襲は、その家の金銭財宝が急激に減っていくという現象で果たされることになる。
トゥユルを飼うことをはじめた陰謀プスギハンの徒は、トゥユルがどのような供え物を望むのかを最初に両者協議の上で決め、毎日それを欠かしてはならない。飼主がそれを欠かせば、トゥユルは逃亡して関係を絶ったり、あるいは飼主に復讐することもある。トゥユルの世話はなかなか大変な仕事であり、おまけに隣近所にトゥユルを飼っていることが絶対に知られてはならず、そういう苦労をしながら闇の金儲けを行なうのだから、そのような悪事を行なう人間が限られていることは容易に想像がつくにちがいない。
トゥユルに関するジャワ人専門家の説明はそういうものだが、バリ島にもトゥユルがいて、トゥユルの被害を避ける方策まで世間の常識と化している。バリ島でトゥユルを使った超常的プスギハンを行なおうとする者は、トゥユルを招きよせる特別の儀式を行なったり、もっと簡単なのは魔術を身に着けたオランピンタル(orang pintar)と呼ばれる者からトゥユルを買い取るのである。
トゥユルは子供のように遊ぶことのほうが大好きであり、仕事を命じられるのは嫌いだ。しかし飼主との約束があるため、いやいやながら命じられた仕事をするというのがバリのトゥユルらしい。飼主のほうはトゥユルの生活を保証してやらなければならない。トゥユルの好物は往々にして母乳や血液だそうで、毎日そういうものをトゥユルのために用意しなければならない。また香を焚き、供物をそなえ、暦の決まっている日に祭礼を行い、時にはトゥユルが人間の生命を要求するために自分の家族を犠牲にするようなこともしなければならない。
トゥユルの盗みにも条件がつけられる。まず嫌疑がかかりやすい隣近所の家では絶対仕事しないこと。次いで、盗難が悟られないよう、一軒の家で目だった盗みをしないこと。銀行や貴金属店での仕事もしてはならない。そういう場所は往々にして結界が張られ、妖怪が侵入できないようになっている。
バリの一般家庭では、トゥユルの被害を防ぐために次のような対策が講じられている。家の敷地内の庭にショウガを植えて茎を長く伸ばす。家の表にポホントゥラッ(pohon tulak)あるいはワリソゴ(walisongo)と呼ばれる木を植える。それらの植物は悪霊が嫌うオーラを発するので、トゥユルのような妖怪や悪霊が家の中に入ってくるのを防止できる。他には、トゥユルが越えることのできない、目に見えないフェンスをオランピンタルに家の周囲に張ってもらうという方法もある。
あるいは、トゥユルが家の中に侵入しても、金目のものを盗まれないようにするための対策もある。財布や袋、金庫、金入れ、抽斗等々に次のような細工をするのだ。
ー 針を刺したバワンメラを一緒に入れておく。トゥユルはバワンメラがあると目がひりひりして炎症を起こすので、近寄りたがらない。それを我慢して務めを果たそうとするトゥユルは、針に指を指されて痛い思いをし、そこから逃げ出して、「二度とあんなところへ行くものか!」と決意するという寸法だ。
ー 小さい鏡を一緒に入れておく。トゥユルは遊ぶのが大好きであり、見つけた鏡を持っていじくりまわして遊ぶ。遊びに没頭するあまり、自分の務めを忘れてしまう、という寸法だ。
ー カチャンヒジャウ(kacang hijau)を十粒以上一緒に入れておく。これもトゥユルの遊び心を刺激してやるためで、トゥユルは見つけた豆粒がたくさんあるから、それをまず外に出して遊ぶ。そのとき、やはる遊びとして何粒あるのかを数えようとするが、両手の指の数を超えたらもうわけが分からなくなってしまい、何度も何度も数えなおすうちに自分の務めを忘れてしまう、という寸法だ。
ー ユユカンカン(yuyu kangkang)と呼ばれる生きたカニを、少し水を入れた大きめのどんぶり状の容器に入れて、金目のものの置場所近くに置いておく。トゥユルはこのカニを見るともう遊びたくてがまんできず、カニをおもちゃにして遊ぶ。それで務めを忘れたらよし。あるいはカニに指をはさまれて痛さにその場所から逃げ出していくようにする。
バリ島にお住まいの方は、ユユカンカンを飼っておくとよいかもしれない。ちなみに、このユユカンカンというのはジャワの民間伝承のひとつアンデアンデルムッ(Ande Ande Lumut)の中に登場する川の主で、巨大なカニの姿をしており、色気を出して娘たちをなぶったために王女様に倒されるという役割を演じている。アンデアンデルムッは12世紀にジュンガラ王国とクディリ王国が再統合されたときのことを物語る内容になっている。
ここからは余談になるが、バリ人の厄払いの言い伝えにはさまざまなものがある。自己の威力を見せ付けて人間を支配下に置き、ひざまづかない者は痛い目や辛い目にあわせ、自分の力を頼ってくる者には代償と引き換えに現世の快楽を与えてやろうという悪霊や妖怪、魑魅魍魎がバリ島の隅々を覆っており、そういうものがもたらす難を避けるために、ああしろ、こうしろ、というのがその種の言い伝えだ。
1.赤児の枕の下に、リディ(lidi)と呼ばれる椰子の葉の葉脈を乾燥させたものの束とはさみを置いておくと、魔よけになる
2.妊婦は、日中の暮らしの中で常に折畳みナイフを身に着け、また夜眠るとき枕の下にはさみを置いておくと母子ともに安全。懐妊中の母子に対して送られてくる魔術や呪いを防ぎ、あるいは子供を食い殺す妖怪などを回避できる。
3.墓地にあった土を絶対に自分の生活圏の中に置かないように。自分の土を取られた死者の霊が、その土に乗り移ってくる。
4.バワンメラ(エシャロット)、チャベメラ(赤トウガラシ)、クニッ(ターメリック)を玄関の扉の上に保存するように。家庭と一家全員を悪霊や悪人がかける黒魔術の障害から守ってくれる。
5.金目のものを保管している場所の下や周辺に、バワンメラ、チャベメラ、カチャンヒジャウ(緑豆)などを置いておくと、トゥユルに盗まれるのを防ぐことができる。
6.赤児の枕の下に、祖父の古着の中のパンツを置いておくと、悪霊や呪いの難を免れることができる。
7.悪霊が憑依した人間を元に戻すためには、黒犬の血を使うのがよい。
8.ジュマックリウオン(暦日のひとつ)の夜に眉毛を抜いてはならない。そんなことをすると、トゥユルが寄ってくる。


「バリ島の神隠し」(2014年11月10〜19日)
バリにはウォンサマル(wong samar)という存在が知られている。これはジャワ語とまったく共通の言葉であり、ウォンは「ひと」、サマルは「はっきり見えない、おぼろげにしか見えない」という意味をあらわし、つまりは幽冥界の存在であることを指している。それと同じ概念でムムディ(memedi)という言葉も使われる。これもジャワで同じように使われるが、ジャワではイスラム化されてからアラブ文化の概念であるジン(jin 英語はgenie)のほうが多用されるようになっており、ムムディはバリがバリであるために残ったという印象が強い。ムムディは一般の人には見えないし、存在を感得することもできないが、特殊な能力を持つひとにはそれが感じられたり、あるいは見えたりする。かれらは普段、崖や谷、川や巨木など、人間が恐れを感じる場所にいると見られている。
ウォンサマルは人間界で自在に自分の姿を現したり隠したりすることができるので、時には人間の姿で世の中に出現することがある。そんなウォンサマルに接しても、ほとんどの人間はそれを人間だとしか見なさず、その正体を知ることのできる者はあまりいない。人間とウォンサマルが交際することはありうるのだろうか?いや、それどころか、人間とウォンサマルが夫婦になり、男と女の行為を行なうという話すらある。それが可能な人と不可能な人があるようだ。この世はすべての人間に平等に作られていないのである。
この話は2006年2月にデンパサルで起こったできごとだそうだ。南デンパサルの一角で、あるご婦人が美容室を開店した。自分で美容師の勉強をし、技術を身に着け、見習いの女性をふたり雇って、店開きをした。開店の客寄せは言うまでもなく半額割引の大サービス。バリ人女性にはガラッパチの男勝りが少なくないのだが、このご婦人はしっかり者で気立てがよく、仕事をていねいにきちんとやってくれるものだから、即座に評判を高めた。
常連客がついて、頻繁にそこを訪れるひともちらほらと出始める。洗顔・洗髪・ヘアカット・髪染め・ルルール・スパ・髷結い・化粧まで幅広くやってのける。時には男性客までやってきて髪染めを頼む。会社の催事や村の宗教儀式、結婚式や慣習行事など、いろいろな社会行事に出るために青年以上の女性たちは既婚と独身を問わず、身づくろいを頻繁にしなければならない。腕の良い美容師がいれば大助かりで、その結果、美容師のビジネスは大繁盛ということになる。
2月のある日、かの女の美容室にはじめての女性客がやってきた。一見しただけでは年齢がよくわからないのだが、独身女性のなりをしていて、魅力的な雰囲気を漂わせている。客は洗顔と洗髪を注文した。例によって、かの女はていねいに仕事したので、客はたいそう気に入ったようだ。客が言われたとおりの料金を払って店から出た瞬間、客が渡した紙幣が手の中でナンカの葉になっているのに気付いて、かの女は驚いた。世故に長けていない女性だったら動転して間違いを犯したかもしれないが、かの女はそうでなかった。かの女はすぐにその客がウォンサマルであることに気付いたのだ。その客はまだ美容室の入っている建物の表に入る。すぐに店を出たかの女は小走りにその客を追いかけ、しっかり袖をつかんで、ささやきかけた。
「ねえ、お金を払うのに何を使ったの?」客は奥床しく答えた。「わたし、お金を持っていないの。」
「それは駄目よ。ちゃんと払わなきゃ。何でもいいから払ってくださいな。」
客の手提げ袋に財布があるのがちらりと見えたから、かの女は「その財布でいいわよ」と言った。しかし客は拒んだ。「これは駄目。これはひとにはあげられない。」
そして、素直な笑みを浮かべながら、何かを取り出し、かの女に渡そうとしながら言った。「ケペン(穴開き古銭)があるけど、これでいい?」
かの女は即座にその申し出を受けた。「ええ、これでいいわよ。」
かの女の手にケペンが2百個載せられた。かの女は話題を変えた。
「お住まいはどこなの?」
「村役場の向かい。」
あとでかの女がそれを確かめるために村役場の前を通ったとき、村役場の向かいは川が流れていて建物など何ひとつなかった。
別れるとき、客はかの女に言った。「三日後にまた来ますから、メークアップしてくださいね。お寺で奉仕の仕事があるの。」
確かにその地区の大寺では、宗教催事の準備が盛んに行なわれていたのだ。
そして約束の三日後、かの女はその女性ウォンサマルがやってくるのを心待ちにしていたが、いつまで待っても現れず、閉店の時間が来たので店を閉めてそこからあまり遠くない自宅に帰った。
『あのひと、きっとわたしが誰かに正体を話したと思ったんだわ。夫か、あるいは店にいる見習いの子か・・・世間に言いふらされて見世物にされたら嫌だものね。仕方ないわね。』
すると突然電話がかかってきた。電話の主はその女性ウォンサマルだった。「奥さん、うちに来てわたしの化粧をしてくれますか?」
かの女は快諾した。夫はまだ帰宅していない。そして家の表でいきなり車の音がした。車から降りた運転手がかの女に、迎えに来たことを告げた。かの女はすぐに支度してそのBMWに乗り込む。車は走り出し、どこをどう通ったかわからないうちに、豪壮なお屋敷の前庭に滑り込んでいた。なんて素敵な家だろう。かの女はうっとりと眺めた。二階建てのモダンなデザインであるにもかかわらず、使われている建材は世の中で目にするものと大違い。扉の上にはボマの彫刻が載っているのだが、そこにはたくさんの貴石が散りばめられ、中でも屋根には緑色の翡翠が張られていた。翡翠を使えば屋内が涼しくなるのだそうだ。
屋内に入ると、女性ウォンサマルが大勢の女性使用人にかしづかれていた。どうやら、その女性ウォンサマルはこの世界でかなり偉い立場の人物であるようだ。かの女はその家で丁重に扱われ、ふたりの間に親交が生まれた。
それ以来、ふたりは互いに行き来しあい、さまざまな相談事を交わす間柄になり、強い信頼関係で結ばれた。ふたりはときどき、BMWに乗ってウォンサマルの世界をドライブしているそうだ。ウォンサマルがかの女にコンタクトしたいときはいつでもできるが、その逆方向は容易でない。
だから女性ウォンサマルはその解決策としてこの人間の親友に、異界に移動するための呪文を授けた。かの女はいつでもどこでも、親友の女性ウォンサマルに会いに行くことができる。もちろん、自分が姿を消すのだから、人目を憚らなければその秘密が知られてしまう。かの女はウォンサマルを友人に持っていることなど誰にも明かさない。本当に信用のできる数少ない人間を除いて。
そんな信用のできる人間のひとりが、自分も異界をこの目で見てみたい、と望んだ。かの女が女性ウォンサマルにその許しを求めたところ、にべもなく断られた。人間は、生まれながらにして特殊な能力を持っているひとと、そうでないひとがいる。あなたはその特殊な能力のおかげで異界に出入りすることができているのであり、そんな能力のないひとが異界にやってくると、人間界に戻るときに破滅することになる、というのがその解説だったそうだ。
インドネシアにも古代から神隠し現象が語り伝えられており、ジャワやバリでは異界の存在であるウォンサマルがこの世に棲む人間を異界に連れ去るという、日本の神隠しに良く似た概念になっている。しかし、実はもうひとつのパターンがあって、この世に棲む人間が普通の暮らしを営んでおり、本人には自覚が全然ないというのに、その者の生活の周辺にいるひとびとにはまったく声も姿も感知されず、世間がその者を行方不明になったと見なしている図式も存在している。
バリでは、神隠しのことをクバンムムディ(kebang memedi)と称する。クバンというのはカエンクバン(kaeng kebang)を略した表現で「隠す」ことを意味しており、つまりはムムディ隠しという日本語訳になる。日本人の八百万の神々の中にムムディあるいはウォンサマルのような存在も含まれているにちがいない。かれらが人間を隠す目的は二種類あるそうだ。ひとつは特定の人間がかれらに好かれ、かれらが一緒に暮らしたいと望んで現世から連れ去るというもので、連れ去られた人間は異界の御殿で豪勢な暮らしを愉しむことができる。もうひとつは、その人間が気に入らないためにいじめたり、あるいはその者の家族を不安に陥れることを目的にしているもの。神隠しが起こるのは子供に多いが、大人にも、あるいは老人にも起こりうる。
神隠しにあったある村人の話によれば、野良で草刈をしていたときに見知らぬ者たちがとつぜんかれをかついで連れ去ったとのこと。そして綺麗な御殿に連れて行かれ、下にも置かぬもてなしを受けた。そしてある日、神隠しにあったかれを探していた親族が、家から近い谷間にひとりで途方に暮れているかれを発見したというのがその結末だ。ひとりの子供に起こった別の事件では、その子は普段と変わらない暮らしをし、毎日家で寝起きして学校へも通っていたが、家族や友人あるいは学校の先生たちもその子を見ることも声を聞くこともなく、世間では神隠しにあったと見なされていた。そしてある日、家族は家の裏手にあるバナナ畑で遊んでいるその子を発見したのである。
家族、中でも子供が神隠しにあうのを防ぎたいなら、上に挙げたような、人間が恐れを感じるような場所へ正午12時や夕方18時にひとりで行かないようにさせることが重要だ。正午12時は昼から夕への境目時、夕方18時は夕から夜への境目時にあたる。
もしも家族のだれかが神隠しにあったことがわかったら、ゴングや金属製の楽器を打ち鳴らしてやるとよい。金属製の鐘を鳴らすことができればもっと効果的だ。そういう楽器を持って、大勢で大きな音をたてながら村中を、中でも人間が恐れを感じる場所や、神隠しが起こった場所を中心にして練り歩くのだ。
大きな金属音を近くで鳴らされたウォンサマルは耳が破裂しそうな状態に苦しみ、それを止めさせようとして隠した人間を放すのだそうだ。
33歳のイ・クデルは、クバンムムディを体験した。かれはバンリのある村に住む農夫だが、バリの伝統的家屋建築の技師であるウンダギでもあり、その副業のおかげでかれはバリ島内のあちこちの場所のみならず島外の諸都市へも出向いており、世間の広い人間だ。かれの家系でウンダギになったのはかれが最初であり、かれの両親は農夫を専業にしていた。
かれの村にそういう変化が訪れたのは、時代のせいだろう。バリ島内の随所にバリ風建物の建築が増加し、その勢いはバリ島外の諸都市にも吹き募ったのだ。かれと同世代の村の男たちは、ほとんどがウンダギになった。
1993年のある日、イ・クデルはバドンでバリスタイルの家屋を建築する仕事を行なっていた。かれは自分が得た知識と体験を元にして、身を粉にしながら働くのが常だ。仕事は順調に進展し、家屋は出来上がっていった。ガルガン(Galungan)祝祭日が近付いてきたため、かれはその仕事を急ピッチで終わらせ、祝祭を家で行なうために故郷へ帰った。バリの村人が故郷から外へ働きに出るというのは、かれらにとって祝祭のための資金を手に入れるのが主目的なのである。
バドゥンでの仕事の前に、かれはカランガスムで建物の建設を行なっていた。その仕事を完成させたあと、かれは報酬を全部もらわないうちにバドンで次の仕事に取り掛かったのだ。バドンでの仕事を終えて、オートバイで故郷への旅路についていたイ・クデルは、先にカランガスムへ回って未払いの金をもらってから家に帰ろうと考えた。そのほうがガルガンの祝祭資金が潤沢になって、恥をかくことなく円滑に祭りごとが行なえるに決まっている。
かれはバドンから一路カランガスムに向かい、未払い金のある注文主の家を訪れた。注文主は快く未払い金をイ・クデルに渡し、もてなしたあと、帰路を急ぐイ・クデルに別れを告げた。そのとき、注文主はイ・クデルに警告した。
「ここから西に向かって行く道の途中に、水田の中に水浴場があるが、そこに立ち寄らないようにしなさい。そこで水浴するなどもってのほかだよ。そこは急いで通り過ぎるのが一番だ。」
イ・クデルは故郷の村に向かってオートバイを走らせるうち、確かに注文主が言った通りの水浴場が見えてきた。ありきたりの水浴場だ。暑熱に炒られていたかれは、喉の渇きを満たしたいと思ってオートバイを止め、水浴場に向かった。透明な水が勢いよくほとばしっている出水口で手に水を汲み、ごくごくと喉を鳴らして飲んだ。その手でかれは自分の顔を洗い、心地よさに目を閉じた。そしてまた目を開いたとき、周囲にあった光景は一変していたのだ。
そこは集落のど真ん中だ。この辺りの地域にこのような集落があった記憶はない。道路や住居の並びは整然として掃除も行き届いており、きれいな草花で飾られ、これほど秩序だった場所はバリにも稀だとかれは思った。集落の中を歩き始めたイ・クデルは、もっとも豪壮な建物の存在に目を惹かれて、近寄って行った。ウンダギ根性がそうさせたにちがいない。「これがここの宮殿のようだ。見た目も美しく整っていて、また独特の建て方になっている。この建築技法をよく知りたいなあ。」
かれは宮殿の敷地内に足を踏み入れた。宮殿の使用人と見られる者がイ・クデルに応対した。宮殿の建物構成は通常の三区分をなしており、かれはそれがバリスタイルの設計であることを見て取った。使用人がイ・クデルに尋ねた。「あんたは何をするために、どこへ行こうとしているのか?」
「わしは仕事を探したいのですが。」
「ああ、だったらここで仕事しなさい。馬の飼育係が必要になっていた。」
馬小屋は宮殿の裏手にあり、イ・クデルは毎日馬の餌を集めて回る仕事をした。
その宮殿では毎日さまざまな活動が行なわれており、大勢のひとびとが集まってきたり、また帰っていったりという光景が展開されていた。毎日そこで暮らしていると、宮殿の主人を見かけることもある。そのとき、かれは北側の建物の南面する表テラスに座る白いあごひげの老人を目にした。老人が座ったのは椅子でなく、生きた亀だ。老人が座る前に、その亀は二本の前足をパタパタ打ち鳴らした。どうやらそれが習慣らしい。
イ・クデルは宮殿の他の使用人のように無駄話をせず、また興味津々とあれやこれやを他の者に尋ねることもせず、仕事に励んだ。かれの頭の中にあるのは自分の務めだけであり、自分の過去がどうだったのか、故郷はどこで家族はどうしているのか、というようなことはまったく脳裏に浮かばなかった。
かれが集める馬の餌とは、水田で黄色く色付いた稲なのだ。かれは鎌をふるって自由にそれを刈り集めたが、その水田がいったいだれのものなのか、まるでわからない。目の届く限り広がっている水田が一家族の所有であるとは考えにくいのがバリの農業だが、イ・クデルがどこへ行ってどの水田を刈ろうが、あちこちに姿の見える農夫のだれひとりとして、イ・クデルの行為に文句をつける者がいない。
毎日そうやって一心に働き、疲れ果てると食事の時間が来る。ところがかれに与えられる食事というのは、飯もなければおかずもなく、宮殿の庭に生えているミカンの木から採ってきた実を絞っただけの絞り汁でしかないのだ。そんなものでありながら、それを飲んで眠れば、かれの身体にまた次の仕事のためのエネルギーが湧いてくる。
宮殿の中にはたくさんの鳥が飼われており、目も鮮やかに美しい色とりどりのチョウショウ鳩がたくさんいる。羽毛は輝いて、その鳴き声も姿も感嘆するほどの美しさだ。あるとき、鳥の世話係がイ・クデルに餌を採りに行くのでついてくるよう命じた。ふたりはパサルに行き、たくさんの商人が売り物を広げている中で、世話係がイ・クデルに「それを採れ」「あれを採って来い」と命じる。イ・クデルは不審に思いながらも、命じられたものを金も払わずに取った。ところが商人たちはだれひとり文句も言わず、イ・クデルが品物を持っていくがままにまかせている。宮殿のためだから、みんな文句を言わずに品物を提供しているのだとイ・クデルは考えた。もちろん、かれは鳥の餌を集める務めを果たしているのだから、自分のために何か他のものも持っていこうという考えなどさらさら湧かなかった。
そんなかれだが、宮殿の建築技法にはとても興味を抱いていた。デザインがアンティックなものなら、使われている素材までがアンティックだ。屋根は穴あき銅銭をひもでつなぎ合わせたものが使われ、巨大な建物の上部を覆っている。下から見ると、暗い緑色の平面が頭上を覆っていて、感動するほどの美しさだ。
ある日かれは、日課の稲刈りに行くため、道を歩いていた。すると向こうから故郷の幼馴染の男がやってきたではないか。イ・クデルはにこにこしながら近付いて行ったが、幼馴染はイ・クデルに見向きもしない。「あいつ、いったいいつからわしにこんな態度を取るようになったんだろう?わしに何か恨みでも持ったのかなあ。」イ・クデルはがっかりしながら、その幼馴染の後姿を見送った。
今度は別の日に、親族や兄弟たちがゴングを鳴らしながら通りを歩いているのに出くわした。道の脇に立ってイ・クデルはその一行が通り過ぎるのを見守ったが、かれらの中のだれひとりとしてイ・クデルに言葉をかけたり、近寄ったりする者がいない。かれは薄々ながら勘付いていた。「どうやら、みんなにはわしの姿が見えないようだ。わしは異界に入り込んでしまったらしい。わしにはあっちの世界が見えているのに、あっちからはこの異界がまったく見えないのだ。あのゴングはバンジャルのものを借りて鳴らしているのだろう。わしはあっちの世界でクバンムムディに陥ったと思われているんだ。」
宮殿の使用人となって働くこと七日、イ・クデルはついに自分の境遇を思い出し、その内容を理解した。かれは宮殿の主に願い出た。ガルガンが近付いているので、自宅に帰りたい、と。
「そうか、家に帰りたいと言うのであれば、どうぞ。土産に何が欲しいかね?ウコンか、稲か、それとも何がよいか?」
「わしは稲が欲しいです。」
使用人が稲をひとつかみ、袋に入れてイ・クデルに渡した。稲は黄色く光り輝いている。宮殿の主の前を退出したイ・クデルに使用人が道を教えた。「家に戻りたいのであれば、この道をあっちの方角にまっすぐ行け。」
イ・クデルは馬小屋に戻って自分が住んでいた場所を片付け、自分の持ちものを手にして宮殿に別離を告げた。ところがなんと、かれが土産として主からもらった稲の袋を馬小屋の壁に置き忘れてしまったのだ。それをかれが持ち帰っていれば、どのような不思議が起こったかわからない。かれが持ち帰った品物の中には霊験あらたかな石の付いた指輪があり、それはかれが常に指にはめていたため無事に持ち帰ることができた。それだけが、イ・クデルが体験した物語を証明する唯一の品である。
かれが宮殿を去るとき、ふたりの使用人がかれを送ってくれた。右と左を使用人にはさまれて集落から外れた場所まで来ると、使用人はイ・クデルをそこに放して、元来た道を帰って行った。イ・クデルの身体から突然力が抜け、気が遠くなってかれは道端に崩れ落ちた。
イ・クデルの家に村人が走りこんできた。村への入口にあたる街道の道路脇に倒れているイ・クデルが見つかったという知らせだ。カランガスムとバンリを結ぶ街道の途中の水田の中にある水浴場でイ・クデルのオートバイが見つかり、それ以前のかれの足取りを知った家族は神隠しが起こったと判断してバンジャルからゴングを借り、かれを探し回っていたのだ。そのとき、みんなはイ・クデルに遭っていたのだが、それが判ったのは後日の話。
七日間、飯をまったく食べていなかったのだから、力などなくなって当然だ。そればかりか、知覚のほうもおぼつかないありさまで、あらゆる感覚があやふやで、記憶がはっきりせず、ここがどこで、いまはいつなのか、そういう認識力が欠けており、口を開いても出てくる音は言葉になっていなかった。
イ・クデルはしばらくの間養生し、体力を回復させ、イダ・プダンダに厄落としの業を請い、それが終わって、やっと思考と認識の能力が完全に回復した。その後かれは普通の村人に戻って暮らしているそうだ。
インドネシアでは、霊的存在をハントゥ(hantu)と呼ぶ。ジャワのハントゥ学によれば、ジャワ人という種族が発生したときから、かれらはハントゥの概念を持っていたそうだ。つまり、人間が棲んでいるこの世と、そしてこの世に密着しながら次元の異なる異界が存在しているということをかれらは知っていたということになる。ハントゥには、自然環境から生まれたもの、人間が生み出したもの、造物主に関わっているもの、などとその由来はさまざまにあり、また人間の味方をして助けてくれる善的存在と、人間を怖がらせ、虐待、し、搾取する悪的存在がいて、普通の人間には対抗できない能力を持っている邪悪なハントゥはジャワ人にとって恐怖の的だった。
ムムディはハントゥのひとつであり、ジャワ人は次のような邪悪なハントゥをムムディとして分類している。
グンドゥルウォ(gendruwo)、ウェウェ(wewe)、クママン(kemamang)、バナスパティ(banaspati)、テテカン(thethekan)、オンクレッコンクレッ(ongklek-ongklek)、ウェルウォッ(welwok)、ジュランコン(jrangkong)、グルンドゥンプリギス(glundhung pringis)、ウンブルモロル(umbel molor)、ルルパ(lelepah)、ランポル(lampor)、チッノノン(citnonong)、トントンソッ(thongthongsot)
神隠しにあって異界で暮らしたひとの話の中に、それらの邪悪なハントゥと出会ったストーリーが見当たらないので、住んでいる場所が違うということなのだろうか?それとも、かれらが人間界に現れるときだけ、そういう邪悪なハントゥと化すのだろうか?


「バビゲペッ」
ジャワの超常不可思議譚のひとつにbabi ngepet というものがある。これは黒魔術の一種で、正道からはずれて生きる決心をした者がドゥクンからこの術を授けてもらい、夜な夜なバビ、つまり豚に変身して近隣の村々を徘徊しては他人の家から金を盗み出すという安易な稼業を行うようになるというもの。ところがきわめて用心深いこの盗人は、侵入した家に1万ルピア札が10枚あればせいぜい1〜2枚しかくすねないので、盗まれたほうもいつまでも気付かなかったり、あるいはいつ盗まれたのかすらよくわからないケースがほとんど。
タンスの中に1万ルピア札を10枚へそくっていたのにいつのまにか8枚しか残っておらず、夫や子供がこのへそくりに気付いている気配はまったくないし、いつ自分が使ったんだろうかと一生懸命記憶の糸をたどりながらそれでも自分が使った記憶はなく、そのうちふっと口をついて出てくる言葉が「あっ、バビゲペッだ!」
盗人のほうも、突然羽振りがよくなって村役から疑いの目で見られたりしないよう、楽でつつましやかな稼ぎを細く長く続けていく方針を守っている。ところがいくら魔術で変身したとはいえ、悪魔の存在を感知することのできる能力に恵まれたひともいれば白魔術を身に付けたひともいて、いくらインドネシアだとはいえ民衆共同体の中でそう簡単に悪がはびこるようにはなっていない。うろついているバビに悪魔のにおいを嗅ぎ取ると、そんなひとびとは村の衆を誘ってただちに社会の敵に襲いかかっていく。しかしその場で叩ッ殺すようなことはせず、捕まえると耳を切り取ったり、足先を切断してから放してやるのだ。翌日になって、耳や足を最近失ったひとが見つかるとさあ一大事。お定まり、問答無用の集団リンチがかれを待ち受けている。
一方、黒魔術の側にもそんな危機を切り抜ける方策がある。かれが深夜バビに変身して稼ぎに出ると、かれの女房は灯油の明りをつけて炎をじっと見守るのである。風もないのに明りが大きく揺らめきだしたら、それは夫の身に危険が迫っていることを意味している。女房が急いで明りを吹き消すと、遠く離れた場所で村の衆に追いかけ回されていたバビの姿も、その瞬間ふっと闇の中に溶け込んだように見えなくなってしまう。
ジャワのどこへ行こうと行き当たるのはまず例外なくムスリムのカンポンであり、豚を飼っているところなどひとつもありはしない。そんなところで夜中にうろついている豚が見つかったら、耳や足をちょん切るどころか、その場で叩ッ殺されるのが相場ではないだろうか?「ならばこの話はいったい何なの?」と疑問を抱いたのはわたしだけではあるまい。この疑問を地元の物知りに問いただしたところ、バビとはバビフタン(babi hutan つまり猪)のことだよ、と教えてくれた。ジャワでも昔は夜になると猪がよく山から村に下りてきたそうで、だから村の中を夜中に猪がうろつくのはありふれた光景だったそうだ。だからこそバビゲペッはバビフタンを隠れみのにすることができた、というのだ。
しかし何もわざわざムスリム住民が快く思わない猪を選ばなくとも、カンポンの中には猫でも鶏でもネズミでももっとありふれた動物がいるではないか。そんなありふれた動物に変身するほうが怪しまれる確率ははるかに減少するではないか、と理屈っぽいわたしは物知りを追及した。すると敵もさるもの、それに対する回答を持ち出してきたのである。つまりバビにしか変身できないという理由が用意されていたのだ。黒魔術が悪魔のものであるゆえんがそこにある、と地元ムスリム物知りは説明した。「アラーはバビ以外のものが悪魔の黒魔術に使われることをお許しにならなかったのだ。だから悪魔に魂を売り渡した者が変身できるのはバビに限られている。アラーの恵みと慈しみは無限大なのである。」
それはともあれ、ジャカルタのど真ん中に2006年10月、バビゲペッ騒動が持ち上がったのには驚かされた。
東ジャカルタ市クラマッジャティのチリリタンブサール村はジャゴラウィ自動車専用道路沿いの住宅密集地。2006年7月のある日、小型の猪が一頭村の中を徘徊しているのが見つかった。たちまち数人が追いかけて捕まえ、村の中で飯屋を営んでいるオヤジに売り渡した。その飯屋は普段から豚肉(猪肉?)料理を売っている。
10月のある夜、また猪が村の中をうろついていた。それを見つけた数人がまたそれを追いかけた。ところが猪は側溝にもぐりこみ、いきなり別の場所から出てきたりして巧みに逃げ回る。なかなか捕まらないのに業を煮やした村人のひとりが何気なく「こいつ、バビゲペッじゃねえのか?」と口にしたから、いきなり村中が「バビゲペッ出現!」の噂で沸き立った。噂というものはクリスタル現象を伴うものらしい。あっちの家でもこっちの家でも「ここ数ヶ月の間に何度か、家の中に置いてあったお金が突然見えなくなって・・・」という尾ひれが付いて広がったから、もうバビゲペッ間違いなし、ということになってしまった。そうして、追い掛けている連中までがその噂に呑まれた。夜遅くまで追い掛け回されたバビはとうとう人間に捕まり、若い衆がさんざんいたぶりまわしたあげく、村の中の広場にある木に縛り付けて見世物にする。半死半生の猪は逃げ出す気力もない。
バビゲペッが捕まったというニュースに村人たちが何百人も見物にやってきた。中にはぐったりしているバビに近寄って足蹴にし、この泥棒野郎めが本性を表せ、と怒鳴りつける者もいる。女子供たちも猪を遠巻きにしての見物で、夜明けが来て黒魔術が解けバビが人間の姿に戻るのを今か今かと待ち受けている。こうして長い時間が過ぎたが、猪の姿はいつまでたっても人間に変わらない。猪はそのうちにだんだんと虫の息になってきた。近郷に住む超能力者が噂を聞いてやって来る。じっくりとバビを観察したあとで村役に言う。「こりゃあただの猪だべえ。バビゲペッじゃねえよ。」
待てど暮らせど変身は起こらず、そのうち一番鳥が鳴いて朝がやってきた。「なあんだ、変身しないじゃねえか。」見物人たちはぶつくさ言いながら三々五々帰っていく。人だかりがだいぶ減った6時過ぎ、クラマッジャティ警察署から警官がやってきて、姿を変えないために村人たちの人気を失ってしまった、この孕んでいるらしい雌猪をお縄にした。警察がすぐにやって来なかったのは、お楽しみを邪魔して群衆を怒り狂わせるとたいへんなことになるのを知っていたための自粛だろうが、ひょっとしてかれらもバビの変身を待っていたのかもしれない。署に連行してしばらくするとついに猪の息の根が止まる。数時間後、村の中で飯屋を営んでいるオヤジが警察署にやってきた。迷惑にもバビゲペッに間違えられ、群衆の見世物にされてはかない生涯を終えたその猪のなきがらは、その飯屋のオヤジが引き取って帰った。
(2006年11月20・27日 ジェイピープル「現代インドネシア1001景」に掲載)


「幽霊話の裏に何がある?」
スカルノハッタ空港敷地フェンスの外側に接しているバンダラマス住宅地。タングラン市スラパランジャヤ町のこの住宅地は空港関係者や航空会社従業員も買ったり借りたりして住んでいる。そんな仕事の関係上夜遅くまで人の出入りが多いため、町内の治安を預かる住宅地警備員も毎晩任務に就いていたが、ここ数ヶ月ほど警備員の姿が見えなくなってしまった。夜遅く帰宅する住人たちは警備員を「ご苦労さん」とねぎらうために蒸しピーナツや揚げ豆腐などを手土産にするのが習慣だったのに、見渡すかぎり警備員の姿はなく、仕方なしに手土産を持ち帰って夜食にしている。警備員たちの姿が見えなくなり、後を追うように二輪オジェッたちもそれまでたむろしていた場所から姿を消した。いまやこの住宅地に夜遅く帰ってくれば、あたかもゴーストタウンの赴きを感じさせるようになっている。
昼間だけ警備員が警備してくれてもあまり意味はない。住民たちが調べたところ警備員たちは、幽霊が怖いから警備員詰所から離れていると事情を明かした。2007年1月25日、詰所近くの家に住んでいた独身で金持ちのムヒディン38歳が自宅で死体となって発見されたことはみんなが知っている。噂では、外貨投資詐欺に騙されて6億ルピアを失ったためにわが命を絶ったのだそうだ。それ以来警備員たちはムヒディンの家に近い詰所に入って十字路を通る通行人を監視する仕事を投げ出してしまった。かれらはそこから遠く離れた住宅地の端っこの詰所に集まって隅のほうを警備している。
「死んだ人間が生き返って出てくるってのかい?」住民のひとりが尋ねる。
「いや、そうじゃないんだけど、気持ち悪いんだよ。幽霊がいるみたいで。背筋がぞ〜っと寒気がして、戦慄が全身を走る。ともかく気持ち悪いんだ。」警備員たちはそう答える。
住宅地の中にあるスチュワーデスたちの下宿は真夜中まで人の出入りが激しく、警備員たちも特にその地区だけは警戒を強くしていた。ところが幽霊騒ぎで警備員が町内の巡回をしなくなったためにそれまで厳しかった監視の目も消えてしまった。インドネシアでは、泥棒がある家に狙いをつけるとその家に幽霊が出るという噂を流す。するとその家の住人以外は怖がって夜その家の周辺からいなくなる。2002年9月に世間を騒がせたポンドッキンダの幽霊屋敷事件もその口だという話だ。その空家は係争中で、転売を防ぐためにそんな噂が流されたという。インドネシアで幽霊話は、幽霊たちさえ怖気づくワルの策略というケースが少なくないようだ。
(2007年3月26日 ジェイピープル< http://www.j-people.net >「現代インドネシア1001景」に掲載)


「トイレの怪」
ひと気のない寂しい場所に幽霊が棲み付くのは洋の東西を問わない。国民人口に比例して他の国より幽霊人口の多いインドネシアでは、大都会ジャカルタのビル内にもたくさんの幽霊が棲んでおり、幽霊話のタネは尽きない。
かわや幽霊というのは日本でも昔からいたようだが、ジャカルタのオフィスビル内トイレにも幽霊がいて、かれらは特に女性用トイレを好んで棲み家にしているようだ。それは幽霊が女性なので身の程をわきまえてそうしているのか、それとも身の程をわきまえない連中が異性に向けて楽しみを発散させているということなのか・・・・・・?
ジャカルタのオフィスで働く女性がひとり「冷房が効いているから近くなるわねえ」などと独り言を言いながら、ひんやりと寂しいトイレに入ってきた。ひとの気配はまったく感じられない。適当にブースの扉をあけて中に入り、態勢を整えて威勢良く放出しているとかなり遠くから同じような放出音が聞こえてきた。しかしかの女の意識はまだその状況に異状を覚えなかった。用足しが終わって水を流すと、こんどは隣のブースでも水を流している音が聞こえてきた。『あれっ、さっき入ってきたときにはだれもいなかったのに・・・』突然背中に冷水を浴びたように感じたかの女は、チェボッも忘れてそこから飛び出して行った。チェボッはインドネシア語でcebokと表記する。
中央ジャカルタ市スナヤンスポーツコンプレックスに近いあるオフィスビル8階の女性用トイレで起こったというその噂は瞬く間にそこで働くすべての女性の間に広まった。しかしお局様たちは「あらそんなの昔から有名な話よねえ」と平然としているそうだ。そんな噂を本気で怖がるひともいれば、半身に構えてにんまり笑うだけのインテリ娘もいる。『本当にいるなら一度体験してみたいものね』と普段からそんなことは気にしたこともないラッナはその日も用足しに8階のトイレに入った。ひんやり寂しいトイレはガランとしてひと気がない。ブースに入って「いざ・・」の態勢に入ったとき、並んでいるブースのどこかから音が聞こえてきたではないか。クールルル、クールルル・・・・・
ラッナの首の産毛が逆立った。『出たっ、ホントにいたんだ!』しかしラッナの意識の一部はその状況を冷静に観察していた。『でもあれってひとの寝息みたい』。意を決したラッナはブースから出ると音のする場所を探した。怪しい物音の聞こえるブースの扉を叩くと、中で水を流す音がした。「はい、はい、ちょっと待って。もうすぐ出るから。」
中から出てきたのは他の事務所に勤めている女子社員だった。「あら〜、あたしって寝ちゃったのねえ。もう疲れちゃって・・・・」寝不足を露骨に物語っている赤目をしたその女子社員は照れくさそうに、手を洗い、顔を洗い、そしてゆっくりと化粧をはじめたではないか。会社のトイレで昼寝をするその女子社員をラッナは昼日中お化けに出くわしたような目で眺めた。
(2009年3月16日 ジェイピープル< http://www.j-people.net >「現代インドネシア1001景」に掲載)


「幽霊はナシゴレンが好き〜」
2010年2月はじめの月曜日の夜、マドゥラ出身のアドゥル25歳はいまや定職となった屋台を引いての食品調理販売に住宅地を回っていた。食品調理販売と言っても、屋台に備え付けたコンロの火に大鍋をかけて作るナシゴレンやミーゴレンがメインだから、ナシゴレン売りと称してもそれほど間違ってはいない。その夜もアドゥルは定常ルートになっているボゴール市内第2チパクインダ住宅地の中をビマ通りからアルジュナ通りに抜けようとして鍋をカチカチ鳴らしながら屋台を引いて進んでいた。時間はもう23時過ぎだが、夜中まで起きているブガダン(begadang)青少年たちがよく夜食を注文するから深夜でも売行きは悪くない。するとビマ通りの一番端の家の表で手招きしているひとの姿が目に映った。アドゥルが近付くと手招きしているのはパジャマ姿のまだ若い女で、おまけに美人だったから、アドゥルは心中快哉を叫んだ。インドネシアでは寝巻き姿で人前に出るのをみんなあまり気にしない。中にはうら若い女性がネグリジェ姿で表に出てくることもあるから、そんな光景に行き当たったら幸いなる哉というところだろう。さて、アドゥルはと言えば、かれの脳裏を疑念が横切った。この家は空き家だったはずだが・・・・
「お兄さん、ナシゴレンをひとつ作ってくださいな。」と鈴の鳴るような声で女は言う。愛想笑いか美人を前にしておもねったか、アドゥルは相好を崩して鸚鵡返し。「はいはい、ナシゴレンをひとつね。」そしてアドゥルは調理を始めながらその上品な女と世間話やら互いの身の上話やらをひとしきり。
「おねえさん、いつからこの家にいるの?」
「最近よ。」
「家の中は静かだけど、もうみんな寝たのかな?」
「そうだわ、電気を点けなきゃ。じゃあ、お金をいま払っとくわ。はい、これね。」
手渡されたのは合計6千ルピアになる二枚の紙幣。パジャマの女は家の中に入り、アドゥルはナシゴレンの仕上げにかかる。
そしてナシゴレンは出来上がり、皿に盛ったナシゴレンを届けようとしてアドゥルはその家の表門に向かった。ところがその表門の前でかれの足はすくんでしまった。電気の明かりなどどこにもない寒々とした空き家が真っ黒な塊のようにそこにたたずんでいるばかり。
「えっ、あれっ、こっこりゃあ・・・・・・」
女が渡した二枚の紙幣はそのときシリの葉に姿を変えた。うわあ〜と腑抜けた声を出しながらアドゥルは屋台を引いて駆け出す。重い屋台を引いておよそ100メートルほど走ったところ、何が起こったのかと近隣住民が家の中から顔をのぞかせたから、アドゥルはやっと人心地がついた。
それからしばらくの間、アドゥルは巡回ルートを変えてビマ通りを避けた。ところがある夜、ふたたびアドゥルが屋台を引いてビマ通りにやってきたのである。どういう風の吹き回しなのだろうか?「昨日の夢にあの女が出てきたんだよ。『お兄さん、またナシゴレンを売りに来てよ』ってにっこり微笑まれたから、来ないわけにゃいかなくなってね・・・」
(2010年3月1日 ジェイピープル< http://www.j-people.net >「現代インドネシア1001景」に掲載)



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