「マルクの悲惨(8)」(2024年03月27日)

VOCは1625年に最初のホンギトッテンを出動させ、セラム島西端ホアモアル半島の
クローブとナツメグの木を全滅させた。ホンギトッテンは普通、目的の島の支配者である
テルナーテもしくはティドーレのコラコラ船隊とそれを護衛するVOC船隊から成り、到
着するとその島の首長に同意させ、住民の中に反抗者が出ないようにしてから住民にスパ
イスの木を破壊させてその作業を監督した。ここでのホンギトッテンのプロセスはその本
質がどうであれ、あくまでも行政措置の形を採っていて、暴力を背景にした無法行為では
なかったと言うことができそうだ。

ある島や地区にやってきたホンギトッテン部隊は、クローブの木をすべて廃棄せよという
王の命令を実行するよう、その地の首長に迫った。相手が軍勢を連れてやってきたことの
意味を考えない首長はいないだろう。首長は住民のすべての男に対して、地区内に植えて
ある、あるいは自生しているクローブの木を根こそぎ掘り起こして焼却するよう命じた。
ホンギトッテン部隊のオランダ人指揮官たちが原住民のその仕事を現場で監督した。

地区内に生えているクローブの木を一本残らず廃棄しなければならないのだ。オランダ人
監督者たちは山岳部・断崖絶壁・ジャングルの奥にある沼沢地などまでしらみつぶしにク
ローブの木を捜索した。マラリアの巣窟であってもおかまいなしだ。そこに入るのは原住
民なのだから。オランダ人監督者は安全な場所からそれを監視し、何本廃棄したという原
住民の報告をメモした。

ホンギトッテン部隊が任務を終えてアンボンに帰還してから、出動の成果がマルク行政長
官に対して書面で報告された。元データの中には原住民が行った嘘の報告が含まれ、さら
に人間の手の届かない場所に生えている木が放置されたにも関わらず廃棄されたことにさ
れ、それらのごまかしデータが集計されたあと、出動部隊最高責任者は上司からの覚えを
めでたくしようとして、水増しの数値を報告書に書いた。


ある記事にホンギトッテンの編成はコラコラ船隊46隻、VOCの船がおよそ百隻と書か
れているものの、それは多分最大規模の作戦のときに使われた内容だったのではないだろ
うか。ターゲットにされた島の規模を無視して毎回そんな大部隊を送り出していたとは考
えにくいように思われる。あるいはその大部隊が広い海域の多数の島に分散したというこ
となのだろうか?

島の首長が抵抗すれば捕らえられて宗主国の法で裁かれた。この政策に反対したり、嘘の
報告をしたのが判明した者が住民の間に出れば、別の島に流刑されたり殺された。ホンギ
トッテンはまた、島民との間で闇取引を行なうジャワ・ムラユ・バンダなどの船に対する
取り締まりを行った。ホンギトッテン政策内の最重要項目だった生産調整がほぼ終了した
あとも、そのパトロールはセラム島・サパルア島・ブル島などに向けて続けられた。闇取
引が見つかれば、島民の生命は風前の灯になった。

ホンギトッテンの勤務を命じられる王国の住民の中に、拒否反応を示す者が少なくなかっ
た。同胞を痛めつける立場に立たされる者の間に心優しい人間がいたことは間違いないだ
ろう。また、建前として3ヵ月間の出動となっているにも関わらず、出先で長期間の延長
を命じられることがしばしば起こった。割り当てられた食糧が消費されればあとは飢える
しかなくなる。だが王の命令を拒めるはずがない。コラコラで出動した乗員の中に、出先
で死亡する者も多かった。

高価格維持のためのスパイスの生産調整というこのVOCの政策は、1770年にフラン
ス人宣教師がクローブの種を厳戒態勢下のマルク地方から盗み出してセイシェルとザンジ
バルに植えたため、独占の崩壊する日がついにやってきた。およそ240年間続けられた
スパイス独占政策によって、マルク地方の人口は三分の一に減少したそうだ。[ 続く ]