「ヌサンタラの紙(1)」(2024年04月01日)

ヌサンタラにも古い昔から紙があった。ただし、それを紙と呼んでよいのかどうかはよく
わからない。インドネシア語の「紙」の定義は「草・わら・木などを粥状にしてからシー
トの形に作ったもので、通常そこに書いたりあるいは包装したりするために使われる」と
KBBIに説明されている。英語の辞書でも、paperの定義はそれとよく似たものになっ
ている。ところがヌサンタラに古くからあった紙はこの定義に合致しないのだ。

日本語の辞書に紙の定義は「植物などの繊維を絡み合わせ、すきあげて薄い膜状に作り、
乾燥させたもの。情報の記録や物の包装のほか、さまざまな用途に使用。製法により、手
すき紙・機械すき紙・加工紙に分けられる。」といった解説が書かれている。

そこには「105年に中国後漢の蔡倫が発明」という情報も一緒に記されていて、蔡倫の作
った紙の製法は「切り刻んだ材料(麻のぼろや樹皮)を洗い、灰汁で煮て繊維を取り出し
てから臼でひき、ふたたび水の中で繊維分散させ、枠に張った網(簀)で梳きます。網の
上に薄く均一に残った繊維を、枠ごと乾燥させてはがし、紙としました。」という説明が
別のサイトから得られた。

ただしそのページには、紀元前150年ごろのものと思われる紙が中国で発見されており、
中国の歴史書に見られる「西暦105年に蔡倫が皇帝に自作の紙を献上した」という文が
発明を意味していたのではなかったという指摘がなされていた。最も古い文献に書かれた
ものが新発明・新発見だと考える習性を昔の学者たちが持っていた事実がそこからわかる。
そして現代のわれわれも先達に倣って同じことを繰り返しているように見える。

客観的な事実を述べるだけでよいにもかかわらず、自分の想像を決めつけるようなことを
するものだから、後進はそれに振り回されてしまう。公的教育機関である学校で教科書を
通して学ぶ歴史上の由緒・来歴・事始めがなんと当てにならないものであることか・・・
閑話休題。


インドネシアで「書」の素材は一般的に、乾燥させたロンタルヤシの葉がもっとも有力だ。
さらにエナウの葉やココナツヤシの葉なども使われた。ところが、あまり語られていない
にもかかわらず、形態的にそれらよりはるかに紙に近いモノも実際に使われていたのであ
る。それがdaluangだ。

ダルアンは樹種の名称であり、学名をBroussonetia papyryfera Ventと言い、また英語で
もpaper mulberryと呼ばれている。インドネシアではダルアンを加工して作ったシート状
のものもダルアンと呼ばれる。天然のダルアンの木はスラウェシ島にたくさん自生してい
て、中でもバダ渓谷・ドンガラ・ロレリンドゥ国立公園にはありふれるほど生えているが、
そこだけに生えているものでは決してない。政府はこの木が消滅しないよう、2014年
に歴史遺産に指定した。もちろん、シート状に加工された製品の素材としてのものだ。ダ
ルアンから作られた紙はkertas Jawaとも呼ばれる。

このダルアンという木は花が咲かず、当然ながら実ができず、種が得られない。増殖は地
下で広がる根に頼っている。樹齢10〜12ヵ月で木は直径3〜4センチ、高さ4〜6メ
ートルに育つ。根の中を通っている成長素が日射を浴びると光合成が起こって発芽するの
だそうだ。

名称は各地で異なっており、スンダ地方ではsaeh、中部ジャワではglugu、マドゥラ島で
はdhalubangあるいはdhulubang、南スマトラ州バスマ地方ではsepukau、スンバ島へ行く
とkembalaまたはrowa、中部スラウェシ州のバレエ族はamboと呼び、同州東端のバンガイ
ではlinggowas、バリ島のバンリ県トゥンブクではiwo、セラム島ではmalakと呼ばれてい
る。それほどヌサンタラのあちこちにダルアンの木が見られたということをこの一事が物
語っている。[ 続く ]