「マルクの悲惨(11)」(2024年04月02日)

クーンはバンダのオランカヤ44人(別説では48人)をバンダ人の反VOC行動の元凶
であるとして捕らえ、ナッソー要塞に連行した。そして5月8日、その集団処刑が行われ
た。処刑の舞台の立役者になったのが日本人傭兵たちだったと言われている。元サムライ
だった日本人たちは褌ひとつの姿で日本刀を持ち、バンダ人オランカヤの頭をひとつひと
つ落としていった。そしてオランカヤの身体は四つに裂かれたという話が語られている。

1621年のバンダ島大虐殺事件をムルタトゥリは「バンダ島がゴーストタウンのように
なった」と書いた。歴史家の中には、その事件が終わった後のバンダ島に1万5千人が住
んでいたと語る者もいる。一方、1万5千人は事件前の住民人口であり、事件後の住民は
わずか1千人だけが残ったという声もあるし、1千人でなくて数百人だと書いている記事
もある。

群島内のロシンアイン島の住民は全員がナツメグを生産する他の島に移住させられ、移住
先で農園労働のための奴隷にされた。またバンダ人789人がバタヴィアに奴隷として移
住させられ、バタヴィア城市建設のための労働者やオランダ人に仕える使用人にされた。
かれらが住んだバタヴィア城壁の東に接する居住地区はカンプンバンダンという地名にな
った。その他にもセイロンに奴隷として送られた者もいた。たいていの人はそれをクーン
の復讐劇だったと考えている。


反抗的なバンダ人をバンダ島から追い払ってからVOCは、ジャワ・ブトン・マカッサル
などから奴隷を主体にする労働者をバンダ島に送り込んでVOCが指図する通りの生産を
実行させた。原住民だったバンダ人がほとんどいなくなって別の種族がそこに呼びこまれ、
また親VOCとして働く諸外国の人間もそこに住んだことで、バンダ島はコスモポリタン
社会になった。激しい人種混交がバンダの島々を覆ったのである。

インドネシア共和国になった現在のバンダ島の住民はヌサンタラの諸種族が混じり合った
ものになっているが、その中にアラブ系・ポルトガル系・イギリス系・オランダ系のプラ
ナカンも少なからずいる。外国系のひとびとはみんなファミリーネームを名乗っている。

バアディラ、アセガフ、バハルワ、アルカティリなどのアラブ系、フランケノンなどのポ
ルトガル系、ムスカッなどのイギリス系、ファン デル ブルッケなどのオランダ系は姓か
らすぐに判る。ただし姓を持っているから外国系だと思ってはいけない。いわゆるアンボ
ン人と呼ばれるひとびとはプリブミであっても姓を持っている。インドネシア人はみんな
姓を持たないなどと一体だれが言っているのだろうか?


Margaを使う種族はインドネシアに少なからずいる。マルガとファミリーネームは違うと
いう見解も間違ってはない。だがそれは語の起源における厳密な言葉の定義におけるもの
であって、社会生活における実用面を見るなら、マルガがファミリーネームとして使われ
ていることも事実なのだ。

個人が本人名とは別に、先祖代々伝えられてきた一族名を自分の名前として名乗るという
のがファミリーネームという現象であるとするなら、その一族名が何に由来したのかとい
うことがらは姓という概念の外にあるものではあるまいか?

インドネシア人という集合体の過半数を構成しているメンバーがマルガを持たず、姓も名
乗らない。そのために国民としての社会制度が姓を必須条件にしない形で運営され、それ
に合わせて国民管理のシステムも構築された。しかし昔から姓を持っていた種族では、姓
があることを前提にしたその種族の社会制度が営まれてきたのである。姓がないと社会生
活で困るだろうと思う日本人がいるのは、姓があることを必須条件にしている社会の中に
住んでいるからではないだろうか。[ 続く ]