「星空のインドネシア(1)」(2024年05月20日) 昔のインドネシア人も星を目印にして海を航海し、あるいは農作業の時期を決めていた。 星座の概念を持ち、その組み合わせの形に従って星座に名前を付けた。言うまでもなく、 ギリシャ人が見出した形とは異なっているほうが当たり前で、インドネシアの伝統的星座 表は現代世界のものと同じでない。そりゃもちろん、世界中がそうだろう。 インドネシア語で星座のことをrasiと言う。かれとかの女はお似合いのカップルだと言う 場合、あるいはこのズボンだとこちらのシャツが合いますという場合によくserasiという 単語が使われる。どうやらインドネシア人も星占いの感覚を持っていたようだ。 10月だけ除いてインドネシアでは晴れている限り毎夜、どこからでも南十字星が見える。 日没後すぐに見えるのは4月から9月まで。11月からは早朝に出て来て、段々と夕方目 指して時間が繰り上がっていく。この星座は南を指しているという謳い文句になっている のだが、ひと晩の間に天体が回転するため、この星座も時間によって傾いてしまうし、ま た季節によって傾斜の位置が変化する。だからこの星座の何が常に南を指しているのかが わたしにはよく解らない。 そういうことでなくて、この星座が常に南天に見えるのだということを言っているのであ れば、確かに大まかな南の方角を知ることはできるだろう。ただし南十字星は季節や時間 の推移に伴って南天の東から西に移動するから、この星座が見える方向が真南だなどと考 えると大きなリスクを背負うことになりそうだ。 この星座が見えようが見えまいがコンパスさえあれば真南は容易に、しかも正確に知るこ とができる。方位方角を知るためのコンパスは紀元前2世紀ごろ発明されているから、昔 の航海者は南十字星で方角を知ったなどというロマンチックな話はコンパスが世に出る前 のことか、もしくはメインストリームから外れた後進的なひとびとのことを言っているの ではないだろうか。後進的なひとびとのことをロマンチックに表現しても、同調してくれ ない読者聴者が出る懸念は間違いなくあると思われる。 ギリシャ人は昔、この星座をケンタウルス座の一部としていたそうで、当時のギリシャ= ヨーロッパ世界の船乗りは方角の指標にしていなかったように思われる。実際に南十字と いう星座として確立されたのはヨーロッパ人が南洋への航海を盛んに行うようになった大 航海時代からのことであり、南洋における方角の指標が重要な意味を持つようになったこ とと同期しているのだろう。 ただ、既にコンパスが有り余るくらい大量に出回っていたその時代に、南洋に向けて航海 するヨーロッパ人が本当に南十字星を頼って針路を判断していたのかどうか。どうも、南 十字星にまつわるロマンチックなキャッチフレーズとわれわれに身近な史的事実の間に乖 離があるように思えてしかたない。 南十字星はアルファからデルタまでの四つの明るい星と小さく見えるイブシロンの5星で 構成されている。それをヨーロッパ人は十字架の形に連想したのだが、ジャワ人は凧をイ メージしたのでLayang-layangと名付けた。ただし南十字星をインドネシア人がラヤンラ ヤンと呼ぶようになったのは現代に入ってからだ。古文書の中にこの星座を凧に例えた表 現はないそうだ。 昔のインドネシア人は南十字星の形を傾いた小屋に見立てた。古くからジャワ人はそれを Lintang Gubug Pencengと呼んでいたのだ。インドネシア語に訳すとBintang Gubuk Miring となる。ジャワ語のリンタンというのは夜の天空に光っている物体を指している。だから インドネシアではリンタンもビンタンも、星・星座・衛星・流星・銀河などを一括りにし てそう呼んでいた。もちろんそんなことがこの現代に通用するわけがなく、インドネシア 語で現在はbintang, rasi, planet, komet, galaksiという術語が使われているのだが、 古い文書を読むとそんなことが起こるのである。[ 続く ]