「世界を揺さぶったスパイス(22)」(2024年05月21日)

北スラウェシ州ミナハサ県は高原の湖トンダノ湖を擁する高地がメインを占めている。オ
ランダ人プロテスタント宣教師たちがミナハサ人に対する社会の教化を行なう中で、18
70年に原住民にクローブの栽培を勧めることが起こった。ソンデルとコンビでクローブ
栽培が始められ、1930年までクローブ栽培の普及が続けられた。

1952年に地元民の主体的意志によるクローブ栽培の拡大が始まり、栽培面積が広範囲
に広がった結果、1970年代末には北スラウェシ州が全国クローブ生産の第一位に躍り
出た。その黄金時代にソンデルやコンビが北スラウェシ州におけるクローブの生産センタ
ーになり、年産3.5万トンという歴史的な州生産記録が達成された。ミナハサ産のクロ
ーブは香りが世界最高であるという好評価を与えられ、クレテッタバコ業界が必須原料に
したことが大量生産に向かわせたようだ。

ミナハサのクローブ栽培は最初、オランダ東インド政庁の経済政策から離れた位置で展開
された。そのせいだろうか、大資本のクローブ農園はなく、クローブ生産はすべて地元農
民の個人や集団による産業になっている。


2017年8月初の夕方、ミナハサ県ソンデル郡コロガンアタス村はひっそりとしていた。
強めの風に吹かれた高原の冷気が身体をこわばらせる。この村はマナド市から40キロほ
ど下った高地部にある。「住民はまだ畑から戻ってきていない。マナドやトモホンやトン
ダノに勤めに通っている住民もまだ家に帰り着いていない。」と村民のひとり、レイン・
トゥミラルさんが記者に語った。そんな何十キロも離れた町にこんな遠い村から村人たち
が通勤しているのだ。

「みんなクローブ栽培で生きていくのが困難になったから、町へ勤めに行くようになった。
その方がはるかに生活が安定するんだから。」レインもクローブを見限ってマナドで公務
員をしていたひとりで、定年退職してからクローブ栽培を再開した。かれはいま、クロー
ブに生計を担わせる必要のない身分になっている。

クローブ生産は天候に左右される。雨が花も実も木から落としてしまうのだ。何も問題な
ければ今は収穫期だが、1月から雨が多かったために今年は収穫がない、とかれは言う。


外から村の中に入って来ると、アスファルト舗装された10メートル道路の両側に立ち並
ぶ家屋はたいてい豪華な作りになっている。家屋の脇や裏の庭にはセメントが敷かれた区
画が見られる。クローブを天日乾燥させるために使われていた場所だが、今はどの家もそ
こは空っぽになっていてクローブの姿などない。

家の並びの中に空き家があり、壁に塗られたペンキがめくれている。その一軒の家を指差
してレインは物語る。その家はクローブ農家で、1970年代にはハードトップ乗用車が
数台置かれていた。しばしばパーティが開かれて大勢が集まり、旨いものをたらふく食べ、
酒を飲んだ。水を一滴も使わないパーティもした。手を洗うのでさえビールを使った。村
の中までまだ電気が十分届いていなかったというのに、村民の中に冷蔵庫を買って室内に
置き、衣服をしまうタンス替わりに使う者もいた。

クローブの収穫が終わるとどの家もぜい沢な飲食物を用意して祭りを愉しんだ。マナドか
ら来る客人にふるまうのだ。その催しの日はHari Pengucapanと呼ばれた。Thanksgiving 
dayと解釈すればいいだろう。その習慣は今でも続いている。毎年7〜8月になるとその
催しが行われ、その日ミナハサは県中が祭りに酔う。道路はあちこちで大混雑になり、5
キロの距離を進むのに6時間かかることも普通だ。

「クローブはミナハサ人に感謝することを教えた。今では、クローブの収穫がなくても、
感謝を形に表す一日が設けられている。」レインはそう語った。[ 続く ]