「星空のインドネシア(3)」(2024年05月22日)

グブップンチャンがいつごろからジャワの民衆に認知されるものになったのか、はっきり
したことは分からない。文献学的には、マタラムイスラム王国の開祖パヌンバハン セノ
パティが初代スルタンとして在位した1575年から1601年の間に作られた詠唱歌の
中にこの星座の名前が読み込まれている事実がある。そうであれば、この星座についての
知識ははるか以前から民衆の持つものになっていた可能性が高いと歴史学者は述べている。


古代から優れた船乗りとして東南アジアにその名声を謳われたブギス人も南十字星を「未
完の家星bintoeng bola keppang」と呼ぶ。おまけにウランジャルギリムをbintoeng balue
つまり未亡人星と呼ぶのである。バロバロアン島のブギス人社会で伝えられている、その
名称に関連付けて作られた物語はこうなっていた。

あるとき木工職人が家を建てていた。するとその家の隣に住んでいる未亡人がかれの気を
引こうとしていろいろと話しかけたりちょっかいを出したりしたから、職人は仕事に集中
できず、同じ長さの柱を作るのに失敗した。こうして傾いた家ができたのである。全国各
地に住むブギス人の語る星にまつわる話はそれぞれ異なっていると言われていて、これも
何がオーセンティックなのかよく分からない。

そのバージョンがジャワの話と似すぎていると思うひともいて、それは文化交流の結果だ
ろうというコメントを書いている。もちろん偶然の一致は起こりうるのだが、ブーゲンビ
ルからパプアニューギニアにかけての地域であちこちにこれとよく似た話が語り伝えられ
ているそうだから、確かにそんなにあちこちで偶然が多発するのもおかしいだろう。

船乗りのブギス人にとってビントエンボラケッパンとビントエンバルエは船出の時期が来
たことを知らせるサインだった。スラウェシ島南部に住むブギス人はモンスーンの風向き
が東に変わるその時期を待って、スマトラ・ジャワ・カリマンタン・バリ・ヌサトゥンガ
ラに舳先を向けて帆を上げた。

ブギス人はビントエンバルエをBintoen Sallatangとも呼んだ。サラタンは南を意味して
いる。バロバロアン島やスンバワ島のビマを目指すとき、ブギス人はビントエンサラタン
に舳先を向けたのである。


南十字星と二つのケンタウリを最初からひとつの形と見なしたひとびともいた。かれらは
傾いた小屋を扁平な胴体、二つのケンタウリを長いしっぽに見立てて、海に住む巨大なエ
イikan pariの姿をそこに連想した。星座名は当然Bintang Pariになった。

これは海に関りを持つひとびとの発想だったにちがいあるまい。内陸部のひとびとが星空
にエイが泳いでいる姿を想像するだろうか?エイ座という観念は沿岸部の住民が作ったも
のだったのだ。内陸文化のひとびとはエイでなく、傾いた小屋と美女の組合せをそこに見
たのである。スマトラ島やマラヤ半島のムラユ人はやはり海洋民族系だったのだろう。そ
れをBuruj Pariと呼んでいる。

burujはアラブ語であり、国際的にしばしばburoojと綴られる。この言葉は星を意味し、
特に明るい星を指して使われた。現代マレーシア語では星座の意味でも使われている。ま
た城壁に囲まれた都市の遠望されたイメージを伴う都や町を示した。遠くから見えるのは
周囲の自然の中にポツンと存在する塔や城壁だけだ。[ 続く ]