「星空のインドネシア(4)」(2024年05月27日)

ジャワの農民は日没の残照が消えたあと暗くなった空に浮かぶグブップンチャンを見て乾
季が来たことを知った。その状態は4月から9月まで続くのだ。それは雨季に育った植物
を刈り取る季節の到来を教えている。

一方、農民にとってもっと重要な田植えの開始はオリオン座が教えてくれる。オリオン座
は10月から5月のはじめごろまで夜闇の降りた空に現れ、6月には姿を隠して7月ごろ
から夜明け前に現れ始める。ジャワ人はオリオン座のオリオンのベルトとM43,M42,ιの各
3星を鋤に見立ててその星座をLintang WalukuまたはLintang Lukuと呼んだ。インドネシ
ア語にするとBintang Bajakになる。牛や水牛に引かせて水田を鋤くあの道具だ。

夕焼けの真っ赤な空が漆黒の闇に変わったとき、夜空に浮かぶ鋤を見たジャワ農民たちは
自分も鋤を出して田んぼ仕事の準備を開始した。ジャワ人はそれを鋤と見なしたのだが、
バドウィや他のスンダ人はキジャン(小鹿)の姿をそこに見ている。


オリオンが持っている盾のすぐ上にあるおうし座の尻尾のあたりにプレアデス星団がある。
日本人が古代から昴と呼びならわしてきたこのプレアデス星団は120個ほどの星が集ま
ったもので、青白い輝きを放っている。地上から視認できる星はそこにいくつあるだろう
か?目の良いひとは9個ぐらい、普通のひとだと5〜6個くらいと日本では言われている
ようだが、インドネシア人は7個見つけ、それをBintang Tujuhと命名した。

しかし民族天文学者のひとりはそれを不正確な表現だとコメントした。ビンタントゥジュ
というのはおおぐま座の北斗七星を指すのが通例なのだ。インドネシアでの北斗七星の呼
び名はBintang BidukあるいはGayung Besarである。だからプレアデスの七つ星に関して
言うならBintang Tujuh BidadariあるいはBintang Tujuh Putriと呼ぶほうが正確なのだ
とかれは言う。

ビンタントゥジュビダダリは4月末ごろまで、残照が消えたあとの夜空に姿を見せる。そ
して7月になると日の出前の東の空に復活する。この星の一団は11月に一晩中見えてい
るから、観察するにはその時期がベストだと天文学者は勧めている。

ジャワ人はこのプレアデスのビンタントゥジュビダダリをLintang Kartikaと呼んでいる。
カルティカも星を意味するサンスクリット語源の言葉だ。きっと「星の星」つまり「星の
中の星」と言っているのではあるまいか。サンスクリット語ではジャワ人の「星の星」が
Krittikaと呼ばれており、またペルシャ人はそれをSorayaと呼んでいる。

プレアデスの七つ星は天女であり、水浴するためにジャワに舞い降りた、というのがジャ
ワの説話ジョコ・タルブの設定だ。ジョコ・タルブが羽衣を一着隠したために、天女のひ
とりデウィ ナワンウランが天上界に戻れず、ジョコの妻になった。ナワンウランは又の
名をデウィ ラッナ・ジュウィタと言う。


ジャワの古典舞踊であるBedhaya Ketawangは天上の舞と考えられており、スラカルタ王宮
で王の即位を記念する式典のときにだけ演じられる。タワンとは天を意味する言葉なのだ。
この舞がリンタンカルティカのイメージを中に含んでいる可能性をジャワの教養人たちは
感じている。

王宮の貴族のひとりはかつてこう語ったそうだ。ブドヨクタワンの舞の原形はバトログル
batara guruが167年に作ったレンゴッボウォという舞だった。美しい宝石から生まれ
た7人の天女が集団で舞うのである。南海の女王がスルタン アグンにこの舞を愛のシン
ボルとして捧げた。そのときニ ロロキドゥルは7人の舞姫を9人に増やしたので、?以後
歴代スルタンの即位記念日には9人の乙女が集団でそれを舞うことになった。

この舞はガムランとシンデンの唄が伴奏に付く。シンデンが唄う歌詞の中に、スルタンア
グンが星に例えられている文句が顔を出す。その集団舞踊の動きの中で、リンタンカルテ
ィカの星の配置(7人の姉妹たちと両父母)が再現されるという話も聞かれる。ブドヨク
タワンの専門家は、この舞がリンタンカルティカからアイデアを得て作られたことは間違
いない、と述べている。[ 続く ]