「世界を揺さぶったスパイス(24)」(2024年05月27日) 1990年代に入ってから、スハルト政府はクローブサポート&マーケティング庁を新設 してクローブの商業統制を強化した。全国のクローブ生産者に対して、政府の作った機関 への売却を義務付けたのである。クローブは再び支配者に独占される運命を繰り返した。 独占者が生産者農民に低価格を押し付けるのは当然の成り行きだった。スハルトレジーム 崩壊とともにクローブ独占も姿を消し、その後遺症も回復したとはいえ、ミナハサのクロ ーブ生産が70年代のボナンザに回帰することはもうありえないだろう。 オルバの罪悪のひとつに数えられているクローブ商業統制に農民がおとなしく従っていた わけでもない。1992年に作られたクローブサポート&マーケティング庁が商業統制を 開始するまで緑の黄金と呼ばれて農民の暮らしを豊かにしていたクローブの相場がその政 策によって二束三文に抑圧されたとき、そんなことに従えるかと言って抗議の感情を愛育 して来たクローブの木にぶつけたひとびとが全国に出現した。各州各生産地のクローブ栽 培面積はみるみるうちに縮小していった。 東ジャワ州農園局の1991年データは県下のクローブ栽培面積を5.1万Haと記録した が、1997年にその数値は2.6万Haになっていた。生産量も1991年の1.27万 トンが1997年には0.78万トンに減少している。そしてオルバレジームは1998 年5月に崩壊したのである。 「苦あれば楽あり、塞翁が馬」の故事は人間世界の真理を衝いている。独占を外されたク ローブの相場はたちどころに回復し、おまけに生産量の低下が需給関係に影響して価格が 高騰した。商業統制を耐えたひとびとに報いが訪れたのだ。 商業統制によってキログラム当たりの実質収入が数千ルピアに落とし込まれていたクロー ブ価格は1999年に1万5千ルピア前後に復帰し、2000年の収穫期が始まると5万 ルピアに跳ね上がった。どんな農産物であれ、収穫期開始時に相場が跳ねあがるのはイン ドネシアの常であり、それに続いて生産地に収穫物が瞬く間に満ち溢れると価格もあっと 言う間に滑り落ちていくのが定例的な現象だ。インドネシア社会は市場価格が需給関係に 極めてセンシティブな社会なのである。 収穫が進むにつれてクローブの価格はどんどん下降し、キロ当たり相場は4.8万、そし て3.3万と落ちて行った。しかしその3万ルピア台が下げ止まりになり、前年から倍増 してクローブボナンザが東ジャワにも出現した。 農民たちが売り上げを銀行に納めるとき、2千万ルピア3千万ルピアという、貧困農民の 普段の生活からは想像もできないような大金が素っ気なく運び込まれてきた。マディウン の二輪車ディ―ラーは大型トラックにオートバイを32台積んで、オートバイ警官の護衛 を付けてパチタン県トゥラカン郡の村に運んで来た。売り込みに来たのでなく、購買者へ の納品にやってきたのだ。ご夫人たちは競って電気炊飯ジャーを購入して台所に置いた。 いつでも温かいご飯が食べられるように。[ 続く ]