「世界を揺さぶったスパイス(26)」(2024年05月29日) 西ジャワ州のクローブ栽培はスカブミ地方で1963年に始まった。県下のチカカッ、チ ソロッ、プラブハンラトゥ、スカラジャ、チウマス、中部ジャンパン、シンプナンの諸郡 が生産センターになっている。 スカブミのクローブ生産の推移は1987年を最盛期にして昨今では安定期に入っている ようだ。クローブ木の一本当たりの生産性は他地方に比べて高い様子が生産実績からうか がえる。 チアミス県内を回ると、クローブの木があふれるほど植えられている姿を目にすることが できる。住民が自宅の庭に保護樹として数本植えているのとはまた別に、集落からかなり 離れた山稜にクローブ林が作られているのを見ることもある。たくさんの木々には概して 青々とした葉が茂り、時期が来るとこぼれるほどの花が咲く。農民がクローブの木を親身 になって十分に世話していることがその姿から想像できる。 バンドンからチアミス方面に車を走らせるとき、あるいはスカブミへ、ジャシガ経由パン デグランへ、またプンチャッの峠越えをするときなど、何千本と立ち並ぶクローブの木が 茂った葉の緑を伴ってわれわれの目をなごませてくれるのをたくさんのひとが体験してい るだろう。チアミス南部のパダヘラン郡にあるパニュトラン山系を訪れたらなおさらのこ とだ。山の高所から見下ろせば、麓の平地をクローブの木が埋め尽くしている風景をわれ われはまちがいなく目撃するのである。 1980年代にクローブの価格が高騰し、1990年ごろまでだれもがクローブをグリー ンゴールドと呼んでいた。スンダ地方にもクローブボナンザがやってきたのだ。クローブ で大金をつかんだ農民たちはハジチュンケになり、ルマチュンケを建て、ホンダチュンケ を買ってそれに乗り、イストリチュンケを持つ者まで出現するしまつだった。 イストリチュンケは第二妻・第三妻が普通で、自分の住む部落から遠い場所にクローブ農 園を持った者がクローブ農園に近い場所の部落に住んでイストリチュンケを持つというパ ターンが多かったそうだ。 クローブボナンザは多くの人間をクローブの植樹に誘った。家の周囲に植えたり、空き地 に植えたり、そして起業心を持つ者は離れた広い土地をクローブ林にした。しかしクロー ブ一本やりにはせず、ブリンビン・マンゴ・タンキルなどと一緒に栽培して森林の形が人 の目に感興を呼ぶようなことまで企てた。 1990年に西ジャワ州庁農園局は州内クローブ農園産業の実態を、15県343郡に栽 培面積7.3万ヘクタールを有し、総本数は1万7百本と記録した。その95%は農民あ るいは個人所有であり、国有農園会社と民間大資本の農園は5%しかなかった。ここでも クローブ栽培は民衆産業になっていたのだ。最盛期には州内生産量が1.3万トン台に達 したこともある。生産された物の多くは中部ジャワから東ジャワにかけてたくさんできた クレテッタバコ製造会社に送られた。そして1990年代のクローブの商業統制がボナン ザに冷水を浴びせかけることになったのである。[ 続く ]