「350年は誇大宣伝?(1)」(2024年06月03日) 「350年もの間インドネシアはオランダの植民地にされた。」多くの日本人がそう書き、 且つ述べている。その文は「異民族の圧政と搾取の下で悲惨と苦しみにあえぐ歴史を担う ことを余儀なくされた」という文脈で語られているものだ。その日本語文はもちろん、た くさんのインドネシア人が述べていた「Indonesia dijajah oleh Belanda selama 350 tahun.」あるいは「Belanda menjajah Indonesia selama 350 tahun.」を翻訳したものだ ろう。 オランダ人はそのインドネシア語文をこう解釈したにちがいない。「Indonesee werd 350 jaar lang gekoloniseerd door de Nederlanders.」。オランダ人もそう言っているのだ から、その日本語翻訳は間違いないと日本人翻訳者は思ったはずだ。 だがオランダ人歴史家はそれをデマであり、インドネシア人が被害者意識を高めようとし て行う政治宣伝だと反論した。そうだとすれば、それはインドネシアが民族を挙げて行っ ている歴史の捏造ということになりそうだ。本当のところはどうなのだろうか? その前に植民地という言葉の意味をはっきりさせておかねばならないだろう。国語辞典に は「ある国からの移住者によって経済的に開発され、その国の新領土となって本国に従属 する地域。武力によって獲得された領土についてもいう。」と解説されている。 日本語の植民地という言葉は英語のcolonyに対応しており、英語の定義はこうなっている。 an area over which a foreign nation or state extends or maintains control 移住者が来て経済開発をしようが、軍隊が来て武力で制圧しようが、何でそうなったかと いうことには一切構わずに、ある国の領土となってその国に従属する地域がコロニーの語 義であるようだ。すると、ある国の国民がどこかの大国に、貴国の一州にしてほしいと請 願してそれが実現した時、英語ではその国をコロニーと呼んで差し支えないが、日本語で は植民地と呼べないことになるのではあるまいか。 そのときに概念の不一致が起こる。日本語を正確に使おうとするかぎり、「植民地」でな い別の言葉を使わざるを得なくなる。そうなったあとで、それに関する会話を外国人と英 語で行うとき、かれはcolonyという言葉を自分から使うだろうか?それとも日本語の定義 に引きずられて「植民地」でない別の言葉を意味する英単語を使うだろうか?そして相手 がそれをcolonyと呼ぶことに首をかしげるだろうか? 異言語学習者にとっての、死んでも乗り越えることのできそうにない困難がそこにある。 だからみんな、そんな問題を真剣に乗り越えようと努めることなどせず、辞書に書かれた 単語の置き換えで済ませようとするのではないだろうか。 大日本帝国期の朝鮮半島と台湾も、上の日本語定義における植民地だった。併合して統治 したという言い方でその現象を表現し、植民地という言葉を避ける傾向を日本人は持って いるようにわたしは感じているのだが、わたしの思い違いだろうか? 植民地という語はその土地の政治ステータスを示す要素がきわめて希薄な言葉だ。その言 葉に領土という概念を結び付けることによって現代日本語では上のような定義にされた。 だがわれわれが持っている言語感覚はそれに反発しようとするのである。その結果が併合 と統治という言い方を好む現象を生み出しているのではないかとわたしは邪推している。 メイフラワー号のひとびとが上陸したプリマスの地はイギリスの最初のコロニーとしてス タートしたわけだが、その最初の一足が振り下ろされた時点におけるプリマスの地の政治 ステータスは何だったのか?そのとき既にイギリス本国に従属したのだろうか?ブリテン セントリックの視点から見たものだけを真理真実だと信じていては、われわれには勝者が 書いた歴史しか見えなくなってしまう。もっとフェアな視点があるはずではあるまいか? [ 続く ]