「350年は誇大宣伝?(4)」(2024年06月06日)

しかし、1942年を始点にする歴史観はほんとうに妥当なのだろうか?1945年末に
インドネシアに戻って来たNICAは全オランダ東インドの領土主権を復活させることに
失敗したが、主要都市の多くはNICAの統治下に置かれた。ジャカルタ・バンドン・ス
マラン・スラバヤ・メダン・パダン・ブキッティンギ・パレンバン、そしてアンボン・マ
ナド・タラカン・バンジャルマシンなどは軒並み日本軍進攻前の状態に戻された。インド
ネシアという言葉が完璧な全体を指しているのであれば、1949年末までインドネシア
にオランダの植民地が存在したという歴史観のほうが妥当性を持っていると言えないだろ
うか?

オランダ東インドが日本に無条件降伏したあとの歴史に関して、日本の敗戦後多くの日本
兵がインドネシアの独立を維持するためにインドネシア軍に加わり、戻って来たオランダ
の再植民地化の動きを阻んでインドネシアの独立を守ったという概論はあまりにもジャパ
ンセントリックな歴史観と言われても仕方ないような気がする。独立宣言をしたから独立
が達成されたということにはならないのではないか。

350年の始点を1950年に移せば、350年前は西暦1600年になる。ただし数学
的に正確な数字を求めるなら、インドネシアの支配者がフランスだった時期、イギリスだ
った時期、日本だった時期をマイナスしなければならないだろう。その13年間を計算に
入れると、350年間という数字は1587年に始まったことになる。


インドネシア植民地化の出発点になったアンボンの町はインドネシアでもっともオランダ
化された町であり、インドネシア共和国独立に際して多数のアンボン人がオランダによる
統治の継続を望み、南マルク共和国を作ってオランダのコモンウエルスになろうと試みた
できごとがあった。圧政と搾取の下で悲惨と苦しみにあえいだひとびとがそんなことをす
るだろうか、という思いは避けられない。

アンボンの町はヒトゥ王国の領内にポルトガル人が作ったコロニーであり、オランダ人は
そのコロニーを奪ってオランダのものにした。ヒトゥ王国はポルトガル人に征服されたわ
けでなく、領土内にコロニーを作ったポルトガル人と交易を行っていただけなのだ。VO
Cがポルトガル人への軍事攻撃を行った時、この王国はオランダ人に誘われて自国の軍勢
を攻撃に参加させている。

VOCはマルク地方の諸王国と協定を結んでスパイス独占の野望実現を進めて行った。決
して諸王国を征服してその地の君主(首長)の座にすわったわけでないことは、拙著「マ
ルクの悲惨」に描かれている通りだ。


その後もヌサンタラ各地の王国から領土を割譲されたとはいえ、現在のインドネシア共和
国の領土に該当する昔のヌサンタラの領域がすっぽりとVOCの支配下に陥ることは一度
も起こらなかった。

VOCの時代は1799年に幕を閉じた。そのときにVOCの領土になっていたヌサンタ
ラの土地はあちこちにある。それですら、現在のインドネシアの領土をすっぽりと覆うほ
どの広さにはなっていなかった。インドネシアという言葉はマルク地方の一部やジャワ島
の一部を意味しているのではないはずだ。VOCの時代にVOCが領土権を持たなかった
土地はたくさんあり、VOCと何のコンタクトも持たなかったヌサンタラの小王国すらた
くさん存在していた。それらのすべてが現在、インドネシア共和国の領土になっているの
である。「350年もの間インドネシアは・・・」が大げさで不正確な表現と言われても
しかたないだろう。[ 続く ]