「世界を揺さぶったスパイス(32)」(2024年06月06日)

2021年のインドネシア国内総生産量4万トンは州別に北スラウェシ・アチェ・北マル
ク・西パプア・西スマトラがトップファイブを占め、その5州だけで全体の9割近い生産
量に達していた。かつては西ジャワや中部ジャワが大産地だった時代もあるが、時期によ
る転変は意外に激しいようだ。ナツメグの故郷であるマルク州の名が既におぼろになって
いることが転変の激しさを示しているようにも思われる。

バンダ群島を擁するマルク州よりも北マルク州に位置するハルマヘラ島のほうがナツメグ
生産を活発に行っているという話もある。西ハルマヘラ県タボソ村では住民のほとんどが
先祖代々伝えられてきたナツメグの樹の世話をして実を収穫している。利用されているの
はナツメグのタネとメースだけで、果肉は捨てられているそうだ。


ナツメグのインドネシア語はpalaだ。パラの樹にできる実はタネ・タネを包んでいるメー
ス、果肉、表皮という四層の構造をしており、現代ではタネとメースが高い商業価値を持
っている。スパイスとして使われるのはタネの粉末および実の各部分や葉を精製して作っ
た揮発油だ。昔のローマ時代にはタネと果肉が高額商品になっていたというのに現代はタ
ネがスパイスとしてもてはやされ、果肉は使い道がなくなったためにたいていの生産地で
は捨てられていた。

西ジャワ地方がナツメグの生産センターになっていた時代にスンダ人は果肉を何とかした
いと知恵を絞った。そして登場したのが果肉をシロップ漬けにしたmanisan palaだった。
スンダの特産品になったマニサンパラをわたしもインドネシア新参者時代にジャカルタで
しばしばひとに勧められて口にしたことがある。

パラの何者たるかを知らなかったわたしは最初、口当たりのぎこちなさと異様な味覚に驚
いたのだが、今思い返してみればインドネシア人はどうも薬効を期待してそれを食べてい
たように思われる。

パラの樹は樹齢7〜9年になってはじめて実を作り、最大限の生産能力を発揮するのは2
5年ごろで、そのあとは終わりがない。樹高は20メートルを超え、百歳以上生き続ける。
樹の生育は海岸部から標高7百メートルくらいまでの高地が適している。バンダ群島では
標高数百メートルくらいの高地部にパラ農園が作られた。植樹は適切な距離を置いて植え
られ、一本一本の樹に妥当な換気が得られるようにする。その距離は5〜6メートルが標
準とされている。樹の間が近すぎると、樹は大きく成長しなくなるのだ。

樹がまだ若い時期には樹の葉が直接日射で焙られると焼けてしまうため、クナリの巨木を
保護樹として用いる。クナリの実も美味しいおやつになるし、ケーキにしばしばそのスラ
イスが載せられている。

パラのタネはインドネシア語でbiji pala、メースはfuliと言う。パラの実は熟すと皮と
果肉が割れて赤いフリに包まれたビジパラが顔をのぞかせる。このフリの別名としてパラ
の花bunga palaという呼称も使われている。この言葉はパラの樹に咲く花を意味せず、赤
いフリを指して使われるのがほとんどで、グーグル画像を調べてもフリの写真ばかり出て
来る。ならば実になる前にできる花はどう呼べばよいのだろうか?

ひとつの実にできるタネも一個だけ。最初タネは白っぽい色をしているが熟すにつれて濃
い茶色に変わって行く。実には揮発成分が含まれていて、熟すにつれて独特の芳香を放ち
はじめる。一島全体がパラの樹に覆われている島に近付いた船は島の姿がまだ見えないう
ちからその芳香が感じられるために、自分たちが島に近付いていることをそのようにして
感知していたそうだ。[ 続く ]