「世界を揺さぶったスパイス(36)」(2024年06月12日) 【シナモン】 インドネシア語で「甘い木kayu manis」と呼ばれるシナモンはスリランカが原産地である と語っている論説もあるが、スリランカのシナモンは学名をCinnamomum verumと言い、イ ンドネシア産のCinnamomum burmanniiとは樹種が異なっている。インドネシアのシンナモ ムムブルマンニイは西スマトラ・ジャンビ・北スマトラ・ブンクル・西ジャワ・中部ジャ ワ・東ジャワ・マルク・南カリマンタンなどの諸州で生産されており、中でもジャンビ州 が歴史的に大産地として名が知られている。 学名にはビルマという言葉が付けられているものの、その別名にはIndonesian cinnamon, Padang cassia, Batavia cassia, korintjeなどの名が与えられていて、すべてインドネ シアに関わる名称になっている。コリンチェというのはスマトラ島ジャンビ州クリンチ山 麓を指すオランダ語だそうだ。そのためかどうか、ブルマンニイはインドネシアが原産だ と述べている記事もあるのだが、東南アジアで一般的な種類というのが穏当な説明のよう に思われる。 スパイスとしてのシナモンは料理の味を豊かにし、ケーキの材料になり、飲み物に使われ、 ジャムゥの素材や美容のための資材にもなる。医薬品として使われることもある。シナモ ンから精製されるシナモンオイルは食品・医薬品・化粧品・石ケンなどの製造産業の重要 な原料のひとつになっている。 シナモンの交易の歴史はたいへん古く、紀元前2千年のエジプトにシナモンが輸入されて おり、ミイラを作るのに使われていた。ギリシャ時代にシナモンは神々への捧げものとし て使われ、アポロの神殿で薫香として焚かれたらしく、きわめて貴重で高価な品物だった ことが推測される。 古代ローマの政治家である大プリニウスは、327グラムのシナモンが労働者の月収で5 0ヵ月分に相当すると書き遺している。皇帝ネロは妻の葬儀の際にシナモンの薫香を盛大 に焚き、ローマの町の年収一年分を灰にしたと伝えられている。 13世紀にはインドネシアからアフリカ東海岸のラプタにシナモンが海上輸送されていた と考える現代の学者たちはそれをシナモンルートと呼んで研究しており、ラプタと呼ばれ た港市がどこにあったのかをひとしきり議論した。ブリタニカ大百科事典によればラプタ はタンザニアのルフィジデルタの下に埋もれた町ではないかという推測がなされている。 インドネシアのシナモンはラプタからエジプトのアレキサンドリアに運ばれ、地中海を越 えてヨーロッパに流れ込んだ。 1638年にVOCはセイロンに商館を設け、1658年にはポルトガル人を追い払って シナモンをはじめとする農産物を独占した。VOCの船長のひとりはセイロンのシナモン について、海岸部はシナモンの木に覆われていて、海岸から1リーグ離れた船上にいても、 陸地から風が吹いてくればシナモンの香りを大いに味わうことができたと書いている。そ のころシナモンは自然樹が満ち溢れた状態だったために、人間が栽培するものにまだなっ ていなかった。[ 続く ]