「言語の論理と意味の伝達(2)」(2024年06月20日)

ライター: インドネシア語オブザーバー、アルフォンス・タルヤディ
ソース: 2007年1月12日付けコンパス紙 "Belenggu Kalimat Rancu" 

ある日わたしはジャカルタで有名なある病院を訪れた。そこで通院患者用待合室にあるト
イレを使った。そのトイレに入った時わたしの目は、壁に貼られた一枚の白い紙に引き付
けられた。「Yang Habis Pakai, Harap Disiram!」という文がそこに記されていたのだ。
わたしの心の声が語りかけた。「わあ、こりゃあメモしておかなきゃいけないぞ。」わた
しは微笑んだ。

わたしのメモが役に立つ日が来た。2005年8月のある日、全国的な催し物の審査員の
席に、前年に引き続いてわたしが招かれたのである。1990年から毎年続けられている
インドネシア図書館クラブ主催の「読み書き愛好者全国コンテスト」で優秀者へのテスト
を行なうのだ。インドネシア独立記念日を前にして、全国大会優勝者を決めるために各州
から選び抜かれた代表者がジャカルタに集まった。わたしの役割は高校レベルのかれら代
表者に対してインドネシア語能力をテストすることだった。

質問の中にわたしはトイレで手に入れたあの文を加えた。ところが何と不思議なことに、
この文を質問された代表者はこの文の混乱に気が付かなかった。この文を文法的に解釈す
ると「orang yang habis memakai WC disiram」を勧めていることになる。わたしがこの
文構造をほぐしたあとでかれらはやっとそれが混乱文であることに気が付いた。水をかけ
られる対象者(文意の主体者)は代名詞yangなのだ。

代表者たちの回答からわたしは、かれらは自分が読んでいる文に対して主語・述語・目的
語・補語という構造分析を行なうことに慣れていないという結論を導いた。


混乱文がトイレを管理しているひとたちの独占物でないことをわれわれはよく知っている。
RW事務所・学校・教会あるいはどこであれ、掲げられている掲示板にわたしはこんな構
文で書かれた告知をしばしば見出す。
「Bagi yang ingin memperoleh.....diharap menghubungi panitia.」

奇妙なことに、上述のコンテスト優秀者たちにこの混乱文へのコメントを求めたにもかか
わらず、かれらの目に混乱は何も映っていなかった。この種の文構造があまりにも日常化
してしまったために、かれらにとっては普通の文としか思えないのだろう。「この文で委
員会にコンタクトするよう望まれているのは誰なのか?」という質問をわたしがしたとこ
ろ、やっとかれらは混乱の原因が対象者(主体者)であるyangの前に置かれたbagiにある
ことを覚った。

上に取り上げた混乱文のパターンは決して新しいものではない。わたしはかつてこの種の
例を何度も取り上げている。
1976年10月26日付けコンパス紙Bahasa Kita
Dalam cerita ini mengisahkan seorang anak yang tertidur.
1976年10月26日付けコンパス紙Bahasa Kita
Dalam sendratari ini mengisahkan Si Kembar, Padmi dan Sila.
1976年11月23日付けコンパス紙Bahasa Kita
...sedang dari Komandan Resimen 081 membantu dua ton beras.
1977年1月11日付けコンパス紙Bahasa Kita
...karena melalui pendidikan dapat membuat manusia mampu...

古い昔から今日にいたるまで、われわれはさまざまな混乱文にまとわりつかれていること
が判る。われわれはこの悪習から自らを解放させなければならない。