「世界を揺さぶったスパイス(40)」(2024年06月20日)

2005年5月のある日、サミガル郡グルボサリ村の住民サルジマンさん60歳は自分の
ヴァニラ畑の世話をしにやってきた。畑を眺め渡しているかれの顔から微笑みが消えない。
ヴァニラの実はよく育っており、6月半ばの収穫が楽しみだ。摘んだばかりの未乾燥の実
はキロ当たり10万ルピア、乾燥させたものはキロ50万ルピアにもなる。サルジマンは
幸福に包まれているのだ。

ヴァニラ農民のひとりスルヤントさんはヴァニラの木を70本植えており、一本当たり2
〜3キロの収穫が得られると語る。ヴァニラの栽培は出費が少なく、しかも世話が楽で、
収穫から高収入が得られるため、こんな効率の良い作物は他にないとかれは絶賛する。

しかし中には完熟をまたずに、実を摘み始めた農家もある。未熟な実はキロ3万ルピアに
しかならないのだが、背に腹は代えられないとその農民は言う。生活費が底をついてしま
ったのだ。クロンプロゴ県サミガル郡とギリムリヨ郡にはヴァニラを生計の頼みの綱にし
ている農家が多い。スントロにもヴァニラ農家がある。しかし県内ではヴァニラと言えば
サミガルの名がまず筆頭にあがる。サミガル産のヴァニラはヴァニラ成分の割合が高く、
良質という定評がある。サミガル郡の農家はまず間違いなくヴァニラを植えている。20
03年からそんな状態が復活したのである。


サミガル地方がヴァニラで有名になったのはずっと昔からのことだった。オランダ人がイ
ンドネシアから去った後、住民は競ってヴァニラを植えるようになった。サミガルで穫れ
たヴァニラのアロマは他地方産のものよりはるかに強かった。

1970年代が黄金時代のピークだった。その時期、ヴァニラの価格には黄金の時価が適
用された。ヴァニラ1キログラムの値段が黄金1グラムの価格に相当したのだ。そのため
にヴァニラはグリーンゴールドと呼ばれるようになった。1955年ごろの黄金価格は1
グラムが1万4〜5千ルピアだったとその時代を経験した農民は語っている。

緑の黄金を生産する土地では豊かな経済が回転し、貧困は姿を消した。昔、この地方は今
のように貧困じゃなかったと地元民はだれもがそう述べている。ヴァニラひとつに頼って
豊かさを満喫していたサミガルのひとびとは1973年に貧困の谷底に突き落とされるこ
とになった。郡内いっぱいに植えられていたヴァニラの木を枝腐れ病が襲ったのである。
ヴァニラの木は全滅した。

農民はクローブなどの売値の良い作物に転換したものの、クローブの世話はヴァニラより
も手がかかり、出費も大きく、収穫もキロ当たり3万ルピア程度にしかならなかった。ヴ
ァニラの効率の良さを満喫していたひとびとにとって、他の作物は不満のタネにしかなら
なかった。

クロンプロゴ県では全世帯数のおよそ25%が貧困家庭だ。ヴァニラがサミガルから姿を
消してから、サミガルとギリムリヨが貧困家庭数のマジョリティを占めるようになったと
クロンプロゴ県令は述べている。

枝腐れ病はカビの一種が引き起こす病害で、国内のほとんどの地方で土壌がこのカビに汚
染されていることが明らかになった。その対策としてこのカビに対する抵抗力を持つヴァ
ニラの品種を発見することが急務になり、1997年にガジャマダ大学農学部の教授が枝
腐れ病に抵抗力を持つヴァニラの新種を発見した。

その新種はジャワ島外で試験され、結果が良好であったことから2003年にジャワ島内
でヴァニラの再植樹が開始された。ガジャマダ大学が用意した新種の苗はコストが一本4
万5千ルピアかかるために個人農家にとって高すぎるという判断が下され、行政が間に入
って農家の負担分を軽減する形で植え付けが開始された。グルボサリ村のサルジマンの顔
がほころび通しなのは、そんな背景があったためだ。[ 続く ]