「アラブラブストーリー(1)」(2024年06月24日)

アラブ地方にあるネジュッの国の少年カイスと少女ライラは幼児期を仲良く一緒に遊んで
過ごした。そして学齢に達すると同じ学校で学んだ。カイスはハンサムな少年になり、一
方ライラの美少女ぶりは男という男たちを魅了した。ふたりはお互いを恋するようになっ
たが、当時のアラブ社会は男女が恋心をあからさまに世間に示すことをふしだらでみっと
もないこととして禁じていた。恋心を世間に覚られるようなことになれば、社会はその者
を卑しめて爪はじきにした。

男と女に成長してからというもの、カイスとライラはそんな社会のしきたりを恐れて相手
への気持ちを秘密のベールで包み、他人に覚られないように本心を覆い隠した詩を作って
互いに交換しあうことしかできなかった。

あるときカイスは父親アルムラウワが商売のために遠国へ行くのに従って旅に出た。将来
父親の事業を継承するためにカイスが学ばなければならないことはたくさんあった。出発
する前、カイスはライラに別れを告げ、真珠の首飾りをプレゼントして自分の愛を示した。
そのとき、新月が来るたびに真珠の玉を一個外すようにライラに言った。


カイスがいなくなったライラは寂しさのために毎日心が鬱勃として元気がなくなり、カイ
スの帰りを待って詩を書くばかりの暮らしに陥った。ある日、ライラの父親アルマッディ
がイラクの商人サアッ ビン ムニフを自宅に泊めた。父親にとっての大切な商売相手だっ
たのだ。ライラを目にしたサアッは即座に恋に落ちた。この娘を妻にしなければ自分の人
生から光りと輝きが永遠に失われるだろう。

アルマッディは翌日、サアッが切り出した話に驚かされた。商談でなくて結婚申込みだっ
たのだから。サアッは結納金として1千ディナールをアルマッディに渡し、父親は娘の意
向を確かめもしないでその金を受け取った。

娘の身柄は父親の宝物であり、私物であり、娘の嫁ぎ先は父親が結納の大きさを片目で見
ながら相手を決めるのがアラブのしきたりだった。娘の身柄をだれに引き渡すのかという
ことを決める絶対的な権限が父親にあったのだ。日本でも昔は父親が娘の嫁ぎ先を決めて
いたから、戦国時代には政略結婚ということが当たり前の習慣になっていた。多分、世界
中が同じような原理を打ち建てていたのではないだろうか?

高額の結納を娘の父親に渡してその娘を妻にした夫にとって、妻は心理上も経済上もかけ
がえのない人間になる。そんな妻が浮気をすれば、そりゃ殺したくなるだろう。娘は夫に
対して命がけで貞淑な妻にならざるを得ない。昔のアラブの慣習は、妻に対する生殺与奪
の権利が夫にあることを認めていた。アラビアンナイトの忠実な翻訳版を読めばそれがよ
くわかる。おとぎ話にされた千一夜物語にそんな深刻で怖ろしい話を載せれば猛反対され
て出版できなくなるにちがいあるまい。

しかし夫が死ぬか、あるいは妻が離婚されたら、妻の身柄はもう結納とかかわりのない立
場に移り、妻は自由の身になる。問題は生計の資をどうするかということに帰する。自分
を養ってくれる男の妻になるために再婚するか、よほどの男勝りの度胸と才能があれば男
たちのような事業主になって事業競争を行なうか、そうでなければ娼婦になるしかなかっ
た。実家へ戻っても、父親はもう自分を私物視してくれない。私物視されればそこに帰属
して食わせてもらえるわけだが、出戻り娘にそんなことをする父親を家族の他の構成員か
ら世間一般までが白い目で見ただろう。社会蔑視を蒙った父親は世の中で商売していくの
に困難が倍加したにちがいあるまい。[ 続く ]