「アラブラブストーリー(終)」(2024年06月27日) 世界最大のムスリム人口を擁するインドネシアでも、昔からライラ マジュヌンの悲恋物 語は美しき恋に憧れるインドネシア人ムスリムの紅涙を絞ってきた。この物語がインドネ シアではじめて出版されたのは1932年のことだ。著者はH.A.M.K.Amrullah、詳しく書 くとHaji Abdul Majid Karim Amrullah、後にその頭字語HAMKAとして有名になった人物だ。 冒頭に配した物語はハムカの著作を要約したものである。 この作品を出版したのはバライプスタカだった。バライプスタカについての詳細は拙作 「バライプスタカ」をご参照ください。 バライプスタカ(1) http://indojoho.ciao.jp/2019/1216_2.htm バライプスタカ(2) http://indojoho.ciao.jp/2019/1217_2.htm バライプスタカ(終) http://indojoho.ciao.jp/2019/1218_2.htm ハムカのこの作品タイトルは当時の綴り方に従ってLAILA - MADJNOENと書かれているが、 もっと後の時代に出された別の作家の作品ではLaila MajnunあるいはLayla Majnunという 綴りになっている。ライラは女性の名前だがマジュヌンは名前でなくアラブ語の普通名詞 であり、クレージーを意味している。 アラブ世界では昔、もっとも頻繁に耳にする女性の名前がライラであり、そして生まれた 娘に与える名前もライラが一番多かったそうだ。この悲恋物語がいかに民衆に愛されてき たかをそれが物語っているように思われる。 アラブ語の原題はLayla wa Majnunとなっていて、その英語訳はLayla and The Crazyであ り、ライラとマジュヌンは修飾関係になっていない。日本語にするなら、「ライラとクレ ージー男」とでもいうようなものになるのだろう。インドネシア語で書かれるときは普通 Layla dan MajnunあるいはLayla Majnunのどちらかになっているようだ。ただしインドネ シア語正書法で書かれる場合はLaila Majenunになる。その理由はお分かりいただけるも のと思います。 バライプスタカ版ライラ マジュヌンは表表紙に「アラブ地方の物語」と書かれているだ けで、この物語の由来に関する解説はまったくどこにも書かれていない。ハムカはこの物 語をアラブ半島のネジュッという国で起こった物語として描いている。 イ_ア語ウィキペディアのLayla dan Majnunのページには、また異なるバージョンのスト ーリーが紹介されている。そのストーリーでは、ライラはカイスと会うこともなく死んで いく。幼なじみのカイスとライラが大人になったとき、ライラの父親はカイスと娘を結婚 させることに反対した。父親はライラをタイフの町へ連れて行ってその地の金持ち商人と 結婚させた。カイスは絶望して町を去り、ひとり森の中で暮らすようになった。ひとびと はカイスをマジュヌンと呼んだ。 ライラは父親の意向に沿って金持ちの妻になったが、その心の中にはいつもカイスがいた。 ライラは経済的に豊かな生活に恵まれたものの、幸福を感じたことは一度もない。そして まだ若いライラが死んだことを知ったカイスはライラの墓を訪れ、ついにそこで世を去っ た。ひとびとはライラの墓の隣にカイスの墓を建てた。 インドネシアの映画界もライラ マジュヌンと題する劇場用映画を制作して1975年に 公開した。シュマンジャヤの監督したこの映画はウエストサイドストーリー風のミュージ カルドラマで、ジャカルタの都市建設のはざまに起こったふたつの若者ギャング団の抗争 が背景になっており、カイスとライラの純愛物語ではなくてトニーとマリアの純愛をなぞ ったものになっている。 ライラ役はリニ S ボノ、一方のギャング団のリーダー役はロック歌手で俳優のアッマッ ・アルバルが演じてヒットした。ライラと愛し合ったのはデディ・ストモが演じるマウラ ナであり、マウラナがライラの兄を殺すというストーリーになっていた。1976年のイ ンドネシア映画祭で助演男優賞がファルーク・アフェロに与えられている。 アッマッとリニは1978年に結婚して子供を3人もうけた。しかし1994年に離婚し ている。ファルーク・アフェロは1964年から1991年まで42本の映画に出演し、 2003年に64歳で世を去った。[ 完 ]