「世界を揺さぶったスパイス(45)」(2024年06月27日) ハムザ・ファンスリが「-a-a-a-a」の押韻を持つムラユ詩の一形式を生んだ本人だと説く 文学者もいる。イスラム哲学やアルクルアンの中に使われている観念的な単語を主体にし て、何百ものアラブ語源の言葉をムラユ語中に持ち込んで古いムラユ語の刷新を実現させ た偉大な文学者の創造力がハムザの作品の中に見出されるのである。 かれの諸作品中に使われたそれらの言葉を駆使するムラユ語表現は、新しい感覚と観念を 表現するための、その時代にふさわしいインテリ言語として世の中に広まった。 ヌサンタラのムラユ世界でハムザ・アル ファンスリが果たした重要な功績は、イスラム 神秘主義の諸構想を詠ったことだけでなく、その時代の現実に向けられた魂の放浪を示す、 詩作という芸術作品を残したことにある。かれは王・貴族・金持ちらの腐敗した行為行動 に鋭い批判の目を向け、それをスーフィズムの真理の櫓に載せて世に問うた。かれをその 時代の勇気ある知識人のひとりだったと評価する声もある。 ハムザ・ファンスリの傑作のひとつ、16世紀末に書かれたZinat al-Wahidinと題する著 述は、その当時スマトラで激しい議論がたたかわされていたWahdat al-wujud(存在の統 一性)の解釈に関するものだった。歴史始まって以来最初の、ムラユ語で書かれた学術論 文がそれであると研究者層はみなしている。 かれが自分から「バルスのハムザ」と自分を名付けたのかどうかについての定説がない。 しかしかれがバルスで生まれたか、もしくはバルスに住んだことがあるのは明らかだ。な ぜなら、かれはその港町のことをよく知っており、かれの作品を読めばそれを示すものが 見つかるからだ。 ・・・ このハムザはファンスリの出身だ シャフルナウィの地で作られた すぐれた帝王学を得た アブドゥルカディル・ジラニから ・・・ そしてまた別に; ・・・ ムラユの国のハムザ それは木の中にカプルのある国 ・・・ そんな詩の一節がかれの作品の中に見られる。 そして今や、ハムザもカプルも歴史の中に名をとどめるだけになってしまった。ハムザ・ アル ファンスリの詩の中にこんな行が書かれている。 「死について学ぶことは、生についての教えをもたらさなければならない」 [ 続く ]