「世界を揺さぶったスパイス(47)」(2024年07月01日) プロテスタント教徒がほとんどを占めるタパヌリ人は、キリストが誕生したときに東方か ら三人の賢人がやってきて三つの贈り物を捧げたという聖書の記述に関連して、贈り物の 中にバルスから積み出されたクムニャンがあったことを信じている。 タパヌリ人社会で先祖代々語り伝えられてきた昔のバルス港でのスパイス交易の華やかさ はおのずとかれらの築き上げるイメージの中に反映された。地元の高価な産品であるクム ニャンがアラブ人の船に乗せられて海をわたり、アラブの港に陸揚げされてからベツレヘ ムに運ばれてイエスの生誕を祝したことにかれらは誇りを抱いている。タパヌリ人がいか にクムニャンを自分たちの身近なものにしているかということをその話が物語っているか のようだ。かれらはクムニャンのことをバタッ語でhaminjonと呼んでいる。 かつてクムニャンはタパヌリ人にとって金の生る木だった。クムニャン農民の中には、1 936年という時代に自動車を持っている家があった。もちろんその自動車はタパヌリか らシボルガの港まで収穫したクムニャンを運ぶために使われたのだが。ともあれ、自動車 を買うための資金がクムニャンから得られたということをそれは意味しているのだ。普通 の農民は仲買人に売り、仲買人が大手商人の倉庫に運ぶのが一般的な姿だった。 昔はクムニャンも売値が黄金の価格に合わされていた。クムニャン1キログラムは黄金1 グラムに相当したのである。そしてクムニャン1キログラムは米16キログラムと等価だ った。 フンバンハスンドゥタン県ドロッサングルのクムニャン農民ワシントン・シトゥモランさ んは1960年代にクムニャン1キログラムが黄金1グラムの価格で売れたことを実体験 した人物のひとりだ。しかしそれ以後価格は低下の一途をたどり、1980年代に相場は 黄金0.5グラムに、そしてさらに三分の一グラムにと推移して行った。 自分が収穫して仲買人に売り渡した品物がどんなルートをたどってどこへ行き、最終的に どんな加工処理がなされて何になっているのかについて、大半のタパヌリ人クムニャン農 民は興味を持たなかった。そのことが生産者価格のそんな低下を招いたというコメントが なされている。 生産者農民のひとりは自分の収穫物について知っていることをこう語った。「わしが知っ ているのは、クムニャンはジャワに送られてジャワでいろんな儀式に使われたり、タバコ に混ぜられたりしているってことだけだ。」 外国の市場でたいへん高価な商品になっていることを知っているのが輸出業界だけで、生 産者はそんなことを何も知らず、また知ろうともしなければ、生産者価格がどんなことに なっていくかは自明の理だろう。なぜもっと昔にそれが起こらなかったのだろうか?歴史 の中で起こったアジア型資本主義と西洋型資本主義の相克を説く商業学の教授はきっと、 アジア風商倫理を捨て去ることがクムニャン流通業界の中でその時期に起こったことをそ れが示しているのではないかと解説するのではあるまいか。 1980年代ごろまではタパヌリ人の収入の6割をクムニャンが占めていたのである。だ が今では20%程度でしかない。今、北スマトラ州のクムニャン農民は北タパヌリ・フン バンハスンドゥタン・パッパッバラッ・トバサモシル・ダイリ・中部タパヌリ・南タパヌ リの7県に分布している。最大の生産量を誇っているのは北タパヌリとフンバンハスンド ゥタンの両県だ。 北タパヌリ県は住民戸数5.6万戸のうち3万戸がクムニャンで収入を得ており、コーヒ ー・ゴムに次ぐ県内特産物になっている。しかしフンバンハスンドゥタン県はもっと多い 3.37万戸がクムニャン収入を得ていて、総戸数に対する比率では65%にのぼる。同 県ではゴムがあまり有力でないため、クムニャンはコーヒーに次ぐ第2の地位を占めてい る。[ 続く ]