「天の蝕(10)」(2024年07月12日) インドネシア共和国独立以来、インドネシアの領土の上空で皆既日蝕は次のように発生し ていた。 【1962年2月5日】 東カリマンタンで始まり、中部スラウェシ〜マルク北部〜パプア中央部を通過 【1983年6月11日】 南インド洋からジャワ島西ジャワ東南部に上陸し、中部ジャワ〜東ジャワを横断し、スラ ウェシ南部をかすめてマルク東南地方を超え、パプア島南部を通過 【1984年11月22日】 ハルマヘラ島南部からパプア島中央部を通過 【1988年3月18日】 スマトラ島南部ブンクル・南スマトラ・バンカ島を経て西カリマンタンと中部カリマンタ ン北部そして東カリマンタンを越えてからミンダナオに抜ける 【1995年10月24日】 ミンダナオ島南部の北スラウェシ州サギヘタラウッ諸島を通過 その5回の中の一度たりとも、2016年になされたような経済的快挙の行われたためし がない。政府はこれまで何をしていたのだろうか?上の5回の歴史の中で、インドネシア の心臓部であるジャワ島を通過したものは1983年のものただひとつだった。他のケー スはみんなジャワ島から離れた辺地で起こったもので、ジャワの大衆にとっては親近感も 興味も湧かなかった事件だったにちがいあるまい。 ジャワ高外低を基本原理に据えたオルバ政権にとって、マジョリティ国民とはジャワ島に 住む大衆だった。皆既日蝕という天変地異がジャワ島にやってくるに当たって、政府は国 民に情報と指導を与える必要に迫られた。そして国民に与えた公表がこれだった。 「盲目になるおそれがあるため、日蝕を直接目視してはならない。国民はみな家の中に入 り、家の中に差し込んでくる日光を塞ぐよう隙間を閉ざし、机などの下に隠れなさい。」 天文学者や諸学術界が政府のバカげた国民指導に批判の声を上げたものの、政府はまった く相手にしなかった。政府がツーリズムプロモーションなど何一つ行わなかったにもかか わらず、外国人学者や研究者、そしてツーリストもたくさんインドネシアにやってきた。 別に皆既日蝕のために国を鎖したわけではないのだから、金を持ってやってくる外国人の 入国を拒む理由がない。 かれら外国人たちは自発的にインドネシアにやってきたひとびとだった。乾季のために曇 天が少なく、またジャワ島という交通や宿泊の便の良い土地で平均皆既日蝕持続時間3〜 5分という絶好の条件下に起こった天空のページェントを堪能して帰って行った。やって きた学者たちはインドネシア学術界のひとびとと共同観測を行い、意見を交換して互いに 知識を深め合った。 政府は東ジャワ州ラモガン県タンジュンコドッ海岸を外国人学者や研究者のために用意し、 そこで観測を行わせた。当然その地区には軍による厳戒態勢が敷かれることになった。地 元民はオフリミットである。およそ1千人の外国人学者研究者が最新鋭観測機器を持ち込 んで観測し、満足できる成果を得て喜んで帰国して行った。[ 続く ]