「天の蝕(12)」(2024年07月16日) 6月11日の禁令は大学教官や専門コースの大学生にまで及んだ。バンドン工大の天文学 教官と学生たちが観測のためにインドネシアを訪れたチェコの研究者と一緒にソロのマナ ハン広場で朝から観測機器をセットして蝕が始まるのを待ち受けていたところ、治安要員 がやってきて屋外での活動は禁止されていると観測活動を禁じた。われわれは大学でこれ を研究している人間だと説明しても治安要員は頑として聞かず、皆既日蝕が起こっている 間、すべての住民は屋内にいなければならないという地方行政からの厳命なのだという説 明を繰り返して屋内に入るよう指示した。 観測隊は仕方なく諦めてビル内に入ったが、ひょっとして3階の屋上から観測できるので はないかと考えて屋上に駆け上がり、期待通りの様子に満足して機器をセットし、皆既日 蝕を心ゆくまで観測した。 屋上からソロの街中を眺め渡すと、町中に人間はひとりも見えず、また道路を走る自動車 さえ一台もなかった。みんなはまるでソロの街が死の街に変わったと思った。物音が死に 絶え、遠くで打ち鳴らすクントガンの音が風に乗ってかすかに聞こえてきた。「チェコ人 研究者に対してわれわれがどれほど恥ずかしい思いをしたか、推察できるでしょう。」と そのときの学生のひとりだったマランのマチュン大学学長は物語っている。 しかしもちろん地方によって同じ命令でも遂行の仕方に爬行性があり、チラチャップで当 時高校2年生だった少年は大学教官の父親に連れられて、一家全員が町中の広場で皆既日 蝕を観測した。行政の指令を実行するために兵隊がやってきたが、父親は兵隊を説き伏せ て家族全員で皆既日蝕を見ることができた。父親は兵隊に「自分は学術研究者であり、こ の観測は許されている」と語ったそうだ。これは地域差と言うよりも人間の差と言うほう が妥当なのかもしれない。これも、インドネシア人がいかにロボット人間に成りにくい種 類の人種であるかを示すサンプルなのではあるまいか。 2016年の官民こぞっての皆既日蝕の祭りに当たって、学術界とマスメディアは198 3年にオルバ政権が行った愚民政策を俎上に載せて強い批判を展開し、国民は30年前の 神話から抜け出して科学に目を開かなければならないという国民キャンペーンを繰り広げ た。インドネシア科学アカデミー会員のひとりは、30年前の国民の意識があれだったの でなく、政府が5百年ほど古い頭をしていたからだ、と批評した。 政治評論家のひとりはオルバ政府のその国民指導を、スハルト大統領がジャワの民衆の現 政府に対する服従度を測るために行ったことだと喝破した。そして大統領の期待通り、そ の政府指導に対する国民からの強い反発はもちろん何ひとつ起こらなかった。そんなこと をすれば治安騒乱を名目にして軍にしょっぴかれ、闇の中に葬られる可能性が高かった時 代なのだから。 1984年にインドネシアイスラム界の最大大衆組織であるナフダトゥルウラマの会長に 就任し、後にオルバ政権崩壊後のレフォルマシ時代を開いたグス ドゥル第4代大統領は 後になって、1983年の日蝕でオルバ政府が行ったことはバタラカラを現実のものとし てよみがえらせた怖ろしいできごとだったと著作に書いている。 オルバ政府が出した禁止令は目視することで起こる可能性に対する怖れでなく、もっと大 きい危険の可能性の存在が現実化することへの怖れだった。ある町の町長は住民に対して 「皆既日蝕時に家から出ないよう、子供たちを縛り付けておけ」と命じたし、ある医師は 「家畜の目を塞ぎなさい。」と民衆に命じて回った。行政機構の役職者や専門的職業のひ とびと、あるいは政府行政機構から権限を与えられているひとびとが抱く行政トップから の指示への違背に対する恐怖が国家の政治と法曹分野にバタラカラの影を招き寄せたので ある。[ 続く ]