「印尼華人の実像(5)」(2024年07月23日)

葬式でもそうだ。式次第の中に中国では全然行われない作法が混ぜ込まれている。カンボ
ジャの花が棺に挿され、棺が墓穴におろされたあとヤシの実を割り、籐棒を墓穴脇の地面
に挿す。中華文化の四季折々の祭りが中国と同じように営まれるのに加えて、華人家庭で
もマウルッなどのイスラム祝祭が行われる。プリブミの母や祖母が行っていた祭りを夫人
たちは行わずにいられない。

こうしてジャワの華人プラナカン家庭は文化の入り混じった年中行事や通過儀礼を行なう
ようになった。父親は中華文化の絶対実践を命じ、母親は可能な限り母方のプリブミ文化
をも実践して自分が教えられた価値観に背かないことを望む。

ジャワ西部地方の華人家庭は中華文化の祭礼だけでなく、バリ・ジャワ・ムラユ・ブギス
などのプリブミ文化がそこに混じりこんで結婚式にしろ葬式にしろ、プロセスの中で行わ
れる作法の量が増加し、そのために金がかかり人間のエネルギーも消費されるというおか
しな状況が長期間にわたって続いた。特にバタヴィア在住華人の家庭にその傾向が強く見
られた。


華人プラナカン社会にそんな状況を批判する青年たちが出現するのも当然のことだ。自分
を華人文化の子孫と自認している若者は自分の結婚式を純粋な中華式で営みたいと親に要
求した。しかし両親自身が純粋な中華式の内容を知らない。息子はあちこちと情報を集め
てまわり、式次第のあの部分この部分が純粋中華式ではないように思われたから、それは
省略すると言い出した。そんな息子に母親はがっかりした。それをさせなければ自分の姉
妹や母に顔向けできない。母親は息子をかきくどき、息子のおばたちや祖母を誘って説得
を試みる。「母親のわたしを悲しませるお前は親不孝者だ。」

困った息子は父親に相談するが、父親だって純粋中華式がどんなものであるのかをはっき
り知っているわけでもない。何百年にもわたって続けられてきた慣習なのだから、理屈は
ともかくとして、つつがなく結婚式を終えることの方が大切な気がする。


バタヴィアの華人社会で高い知性を持ち、広い視野とリベラルな考え方でものごとを見つ
め、保守的でなく、間違ったものごと、中でも不必要な負担を暮らしの中で強いているも
のごとの改善を願うひとびとを糾合した中華会館に、結婚式次第の合理化を求める若者が
相談を持ち掛けることが起こった。中華会館は調査委員会を設けて、結婚式、更には葬式
などで中華文化が定めているものが何であり、そうでないものが何なのかということを検
討した上で華人社会に発表した。

考え方の基本は儒教に置かれ、孔子の書物の中に言及されていることがら、書物の中には
見当たらないが儒教の合理的な解釈に従うとどう思われるかということ、更にあきらかに
プリブミの慣習としか思えないことなどに区分してその位置付けを明確にした。しかし儒
教とは無関係であると判断されたものごとであっても、純粋中華式でないからやめろとは
ひと言も言わず、する・しないを決めるのは当事者であるというリベラルな姿勢を堅持し
たのである。[ 続く ]