「印尼華人の実像(6)」(2024年07月24日) そんなクウィの解説からわれわれは、新客華人の父親が混血の子供たちに抱く期待と現実 の間に埋めようのない間隙が大きな口を開いている姿を感じ取ることになる。父親が偉大 なる中華文化の示す価値観で自分自身の生活を律することはさほどの困難もなく行えても、 家族、中でも子供のしつけと教育はその実現を阻む要素に満ち満ちていた。 中国本土で男児の自分がどうして中華文化を完璧に吸収することができたのだろうか?そ れは母親が中華文化の子だったからであり、また生活環境を包んでいる社会も中華文化の 社会だったからだ。一家の父親がまだ幼児の子供をしつけ教育する習慣が中国本土にあっ ただろうか?母親がいるのに幼児期の子供を父親がしつける家庭は滅多にないだろう。ど この国どこの文化であっても、幼児を育てしつけを与えるのは母親の役割になっているの ではあるまいか。子供がある程度の年齢になってはじめて父親が子供を教え始めるのがユ ニバーサルな人類の生活慣習ではないだろうか。 南洋に来て現地の女を妻にしたとき、子供の幼児教育に中華文化の規範が持ち込まれるこ とは不可能に近かったのではないかという気がわたしにはするのである。異文化の母親に 子育てを任せれば確実にそうなるだろう。もちろん華人の夫がプリブミの妻に中華文化の 規範を教え、それを実行させるようなことができないわけでもない。 そんなことをしている、ジャワ人女性を妻に持ったジャワ島在住の日本人男性がいたこと をわたしは知っている。その家庭のまだ幼児の男の子と母親の関係が、世界中で普通の母 子関係が見せる満々たる所有感覚と被所有感覚の意気投合をほとんど感じさせない、まる でご主人様の子供を預けられて育てている若い乳母のような姿を示しているのを目の当た りにして、わたしは憐れさを感じた。この民族の女性たちが何世紀にもわたって、やって 来た異国の男たちの世話をし、子供を産んで育ててきたあの宿命が今も繰り返されている ような思いがわたしを襲ったからだ。その歴史は拙作「ニャイ〜植民地の性支配」がご参 照いただけると思います。⇒ http://indojoho.ciao.jp/koreg/libnyai.html ただまあこんなものは多分、その奥さんご本人にとってまるで的外れな一部外者の感傷か もしれないのだから、わたしがそのあり方をどうこう言う立場にあるわけでないのも確か なことだ。わたしがその日本人男性の所業を批判していると誤解なさらないようお願いし たい。自分の混血の子供を完璧なニッポンジンにすることがかれ本人の存立基盤に関わる レゾンデートルの守護と実践というたいへんに重要な意義の実現を意味しているという崇 高な信念がかれを衝き動かしているのだろうから。閑話休題 たとえ華僑の夫がプリブミの妻にそのような努力を払ったところで、中華文化の中に生ま れた妻の子育てと比較するなら、日常生活の中で子供が吸収する中華文化の価値観がどの ようなクオリティになるのかは問わずもがなではあるまいか。このポイントについては男 児にも女児にも違いが起こらないのだ。 その子が成長してインドネシアに住む限り、かれはインドネシア華人というカテゴリーの 中に置かれるわけだが、新客華人の父親とプラナカン華人の息子の精神性や文化感覚は異 なるものになって当然だったように思われる。 極端な言い方をすれば、成功者になってからもツギの当たった服を着て朝からこまめに身 体を動かして仕事する、質実剛健をモットーにする父親と、良い服を着て旨い物を食べ、 仕事は雇い人を顎で使う軟弱華美な混血の息子というカリカチュアがしばしば語られてい る華人親子のコントラストだ。[ 続く ]